徳川宗敬(むねよし)は、水戸徳川家出身(水戸徳川家12代篤敬の次男)で、一橋徳川家に養子に入って12代目を継いだ人だそうです。東大で林業を学んで農学博士となったそうです。戦後、緑化運動に携わったり、貴族院議員で最後の貴族院副議長になったり、戦後の参議院議員になったり、サンフランシスコ条約調印時には全権委員となったり、伊勢神宮大宮司に就任したり等々、多方面で活躍した人だそうです。茨城県立歴史館の、一橋徳川記念室の資料は、妻の幹子と共に昭和59年に寄贈したものだそうです。石碑には伊勢神宮大宮司と書かれたものが多いようです。明治30年生まれで平成1年に死去したそうです。
義公祠堂碑(水戸黄門神社 三の丸2-2-29)
老中・三木之次(ゆきつぐ)屋敷で徳川光圀は生まれ、その跡に水戸黄門神社は建てられているそうです。境内にある「義公(光圀のおくりな)祠堂」という石碑の題字は徳川宗敬の書だそうです。石碑には、光圀の誕生と幼年期の地であることと、この神社を建てたのが、之次の末裔・三木啓次郎であることなどが刻まれています。
義公鑽仰碑(常磐神社 常磐町1-3-1)
徳川光圀は、「英雄の資(資質)を以て、治平(平和)の時に生れ百世の師と爲(な)り天下の法と爲」った人であると始まる石碑で、文章は安岡正篤、その書は山内武だそうです。題字の「義公鑽仰碑」を徳川宗敬が書いているそうです。
回天神社碑(松本町13-33)
幕末から維新にかけて斃(たお)れていった多くの志士を祀る回天神社の建築由来を書いた碑です。その至誠という題字を徳川宗敬が書いています。「明治の盛運はこうした殉難志士達の犠牲の上に築かれたものである」などと記した文章は茨城神社庁長の塙瑞比古だそうです。
牛魂碑(茨城北酪農業協同組合 東赤塚2101)
茨城北酪農業協同組合に庭に建てられた牛魂碑の題字も徳川宗敬でした。上にある牛の像は、小森邦夫作だそうです。
平和塔名鑑(愛宕神社 愛宕町10-5)
愛宕神社にある平和塔の建設費を寄付した人々の名前を刻した碑の題字が徳川宗敬でした。名鑑は名簿という意味なのでしょう。平和塔には取り壊しの話もあるそうです。
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