水戸の鐘(1)の頃は、写真を1枚しか表示しませんでしたので、今回は、そこで表示しなかった鐘を主にご紹介します。こうして見てきて、水戸では明治以前につくられたお寺の鐘は、やはり、東照宮の時鐘だけのようです。
希望の鐘(好文カフェ 千波町3080)
好文カフェの屋上にあります。結婚式の一コマを想定して作られたようですが、千波湖を前にした観光客がおもにならしているようです。写真背後は千波湖です。
学生警鐘(弘道館公園 三の丸1-6-29)
これは複製で、本物は平成21年に弘道館に移されているそうです。鐘の表面には徳川斉昭の歌(写真)が、内側には「物学ぶ人の朝いゆ(夕)にならさむ(鳴らさん)ためにも、あるは事あらむ時はいくさ(戦)ととのへむためにも」などと、斉昭による製作にかかわる文が彫られているそうです。
暁鐘(ぎょうしょう 偕楽園公園 南崖下)
旧制水戸高校は全寮制で、その寮では自治が行われ、昭和5年に「眠れる者を覚醒する」という意味をこめて、斉昭の学生警鐘にある「暁告ぐる時のこゑ(声)」とある歌からとったという、暁鐘寮という名前が公認されたそうです。さらに昭和10年に、夭逝した卒業生の父親からの寄付で、暁鐘とそれを下げる楼ができたそうです。暁鐘は戦中に供出され、その後、昭和54年に偕楽園公園に復元されたそうです。
時葉山時鐘(東照宮 宮町2-5-13)
寛文7年(1667)12月とあり、藩御用の鋳物師・長谷善四郎が鋳造した鐘だそうです。その際、光圀は音がよくなるように黄金を入れたという話もあるそうです。時計のなかった時代、鐘の音は時刻を知るために大事なものだったことでしょう。この鐘楼では、音を響かせるためでしょう、鐘の床下に空間が作られているようです。
梵鐘(神崎寺(かみさきじ) 天王町8-17)
南無遍照金剛や、梵語が書かれています。高い鐘楼なので、鐘の細かいところはよくわかりません。
梵鐘(長福寺 塩崎町1135)
平成27年に真壁町の小田部庄右ヱ門は鋳造した鐘のようです。末広型になっています。
梵鐘(祇園寺 八幡町11-69)
平成18年、 「南無東皐心越禅師」などとあります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます