ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の始まり(4)

2020-08-31 20:21:49 | 水戸

電話
  明治40年に、今の中央郵便局内に電話交換局が設置されて、交換業務を開始したそうです。明治40年、水戸市内の電話加入者は140人だったそうです。明治45年の水戸地図(写真)には、「郵便電信局」と書かれています。

 

たばこ製造
 明治37年に、現在の柳町2丁目に水戸たばこ製造所が設置され、福壽草、白梅などの刻みたばこが製造されたそうです。写真の明治45年発行の水戸地図には、「水戸莨会社」とありますが、たぶんこれでしょう。

 

ガソリンポンプ車
 大正6年に、下市町務委員や有志の尽力で、1台を3,500円の寄付金で購入したそうです。それは、ガソリンポンプを「腕用車」(たぶん手で引く形の車両なのでしょう)にとりつけたものだったそうです。この頃はまだ、下市は経済的にも元気がよかった時代のようで、こうした話題を数多く見ることができます。

 

鉄骨の火の見
 大正13年に、下市の消防役員が寄付金を募って、青物町の消防詰所脇に高さ約19.5mの火の見を建てたそうです。たぶん写真(明治45年発行水戸地図)の矢印のところなのでしょう。「○にシ」は、「消防器機置場」の記号だそうです。

 

活動写真(映画)
  前回、上市に大正5年に、常設の活動写真館ができたという説をご紹介しましたが、今回は、はっきりした年号はありませんでしたが、日露戦争(明治37-38年)後に下市青物町にあった芝居小屋吉本亭で、木戸銭3銭で行われたという記事がありました。常設だったかどうかは分かりませんが、水戸で初めての上映とあります。今後も気をつけて見ていきたいと思っています。

水戸の始まり(3)


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