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水戸の見て歩き

水戸藩主・徳川斉昭の遺跡(3)

2021-09-05 15:14:56 | 水戸

大井神社拝殿(飯富町3475)
 天保5年(1834)に、鶴などの画額を、翌年には社号を奉納したそうです。安政年間(1854-1859)には斉昭の命によって社殿が造営されたそうです。

 

御茶園(徳川ミュージアム(見川1-1215-1)あたり)
 斉昭は産業の育成をはかって、天保6年(1835)に、宇治の茶師・小川佐助を召し抱えて、現在の徳川ミュージアムのあたりに茶園を開いたそうです。領内各地に茶の試作もさせたそうです。徳川ミュージアム裏手の崖は茶の木が一面に見られたのでしょう。偕楽園公園センターにあった、斉昭が江戸駒込邸に蟄居処分になったときにおくられたといわれている、好文亭四季模様之図です。

 

新荘の諸小路(新荘)
 江戸定府(じょうふ)という、藩主が江戸に在住していた水戸藩は、多くの家臣が江戸住まいだったようです。斉昭は天保の改革の一環として、江戸住まいの藩士200人くらいを、江戸から水戸へ移したそうですが、その地が新荘の小路群だそうです。桜、松、梅、桃、柳、花、桐、紅葉、常磐という9つの小路名が付けられたそうです。写真は、水戸市コンベンション協会発行の水戸城下町マップです。

 

   

神勢館(しんせいかん)・五町矢場(水戸大橋脇)
 砲銃の訓練、学習所と、製砲所である神勢館は、安政1年(1854)に開業したそうです。鋳銭事業なども行われたようですが、元治1年(1864)の争乱で焼失したそうです。残った、大砲の標的である大垜(おおあずち 高さ約27m、幅約72m、奥行約54m)は、昭和25年に那珂川の改修工事で崩されてなくなったそうです。写真で、背後に見える高台は国道6号線です。

 

成沢町鹿島神社(成沢町1708)
 長く廃社になっていたそうですが、安政4年(1857)に斉昭が現在地へ再建し、みずから神額を書き、太刀一振りを奉納したそうです。

水戸藩主・徳川斉昭の遺跡(2)


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