ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸為政者の家紋

2019-02-17 20:35:57 | 水戸

対(むか)い蝶
 馬場氏(水戸城の地に館を築いたという建久年間(1190-1198)から応永33年(1426)まで) 常陸平氏(ひたちへいし)の末である大掾(だいじょう)氏の流れという、吉田氏の一族である馬場氏の家紋です。

 

左三つ巴
 江戸氏(応永33年(1426)から天正18年(1590)まで) 藤原秀郷(ひでさと)の流れである那珂(なか)氏の出であるという江戸氏は、佐竹氏と対立したり臣下として和合したりしていたそうですが、豊臣秀吉に従わなかったこともあり、最終的に佐竹氏に滅ぼされたそうです。

 

五本骨扇に月丸
 佐竹氏(天正18年(1590)から慶長7年(1602)まで) 常陸源氏の直流で、豊臣秀吉に関東最大の54万石を与えられた佐竹義宣(よしのぶ)でしたが、関ヶ原の戦いで、態度を明らかにしなかったために、徳川家康によって秋田に大幅に減封(20万石)されて転封したそうです。この紋は、はじめ、無文の白旗を奥州征伐の際につかったところ、主君の源頼朝に自分の旗と同じなので、といわれて与えられたものだそうです。

 

武田菱
 武田氏(慶長7年(1602)から慶長8年(1603)まで) 武田信吉は、徳川家康の5男だそうです。家康は、名門武田氏がなくなるのを惜しみ、その名を残すように、信吉に武田の氏を名乗らせて武田家の遺臣をつけて、水戸25万石の城主としたそうです。病弱だった信吉は、1年ほどで死去したために、武田家は断絶したそうです。

 

三葉葵
 徳川氏(慶長8年(1603)から慶應4年(1868)まで)
 信吉の後、家康10男の賴宣(よりのぶ その後55.5万石和歌山藩主)の6年間を経て、11男である水戸徳川家初代城主頼房(よりふさ)が7才で藩主に就任したそうです。水戸徳川家は、その流れのまま、幕末、明治維新を迎えたそうです。写真は頼房が東照宮に奉納したという灯籠にある古い家紋です。

徳川頼房までの主な水戸城主
徳川頼房以降の水戸藩主


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