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水戸の見て歩き

水戸の地獄極楽

2023-10-19 21:15:18 | 水戸

 地獄極楽と、地獄が先にいわれるようです。煩悩の多い私などには適当な順序のような気はします。地獄は六道の一つで、最下層に位置するようですが、一番上は天界(天上)というようで、極楽とはいわないようです。極楽は阿弥陀仏の浄土で、私達の住む世界の西方十万億土(さいほうじゅうまんおくど)のかなたにあるそうです。
 今回は水戸で地獄や極楽の名前がついたものを探してみました。

 

極楽橋跡碑(吉沼町36°21'49.4"N 140°31'24.8"Eあたり)
 光格天皇から正一位を授かったという香取稲荷があるために、神社東方に下馬橋が、西方に極楽橋があり、藩主は下馬橋で駕籠を降りて極楽橋まで歩いていき、再び駕籠に乗ったといわれているようです。極楽橋で駕籠に乗ることができた藩主は、「ああ極楽極楽」といったそうです。光格天皇は、徳川斉昭に期待していたそうで、光圀に従二位権大納言の追贈したりしているそうなので、鹿島稲荷神社もそうしたことと関係しているのでしょうか。写真は古い橋を紹介するで、背後に見えるのが新しい橋です。

 

極楽世界碑(本法寺別院 河和田町4382-100)
 満州開拓関係殉難者を祀る納骨墓所として中国哈爾浜(ハルピン)市郊外につくられた日本人公墓を改称して極楽世界という碑を関係者が建てたそうです。その後、現地で碑の建て替えを期に、古い碑を国内に運び、写真の新しい碑を平成15年に建てたそうです。

 

極楽湯(大塚町1838−1)
 全国展開しているスーパー銭湯の水戸店のようです。深夜まで1日ゆっくりとくつろげる娯楽施設のようです。

 

境橋(渋井町36°21'33.5"N 140°30'48.4"Eあたり)
 幕末の騒乱で処刑された人々が埋められた「土壇場」ともいわれた地で、今は渋井町緑地という公園になっているあたりにある境橋です。そうしたことから、写真の新川にかかる橋を地獄橋とかつていっていたそうです。現在は境橋と書くようですが、方言読みの「さかえばし」というようです。

 

地獄坂(36°22'16.0"N 140°28'14.8"Eあたり)
 「本名匂ひ坂という由(よし)、諸人地獄坂と異名す」と、「水府地理温故録」(高倉胤明著)にあるそうです。地獄坂は通称で、本来は、匂い坂とか梅香坂といったそうです。たしかに急勾配で大変な坂のようです。

 

アリジゴク((鯉淵学園農業栄養専門学校  鯉淵町5965)
 ひたすらに獲物が落ちてくるのを待つ、ウスバカゲロウの幼虫や、それがすむ穴をアリジゴクというようです。乾燥した細かい砂のある、神社や木の根元などで見られるようです。アリばかりでなくワラジムシなども餌になるようです。幼虫時には糞をせず、羽化のときにまとめてするそうです。


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