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水戸の見て歩き

水戸の紀元二千六百年記念物

2024-08-23 21:20:32 | 水戸

 昭和10年に準備会がつくられ、昭和15年11月に、宮城前広場で国家的イベントである紀元二千六百年祭がもよおされたそうです。神話の神武天皇による建国を、西暦紀元前660年として、昭和15年(1940)が紀元(皇紀 水戸では「皇紀」表示の方が多いようです)2600年になるという解釈のようです。水戸市でもそれに伴い、東湖神社の建設や、郷土先賢烈士の遺跡顕彰、敦賀松原神社に対する造営資金送付、市内各戸での梅樹植栽といった事業計画がたてられ、その外にも、色々な国威発揚をめざす、現在と同様のいろいろな民間による冠事業が行われたようです。そして、この翌年から太平洋戦争が始まりました。
 終戦後、戦勝祝・祈願とか、郷社・村社とかいった表示などは、石碑などの文から削除されたものが多かったようですが、紀元二千六百年という言葉は残されているように見えます。

 

東湖神社(常磐町1-3-1)
 多くの志士が神社に祀られているのに、藤田東湖にはそれがないということもあったようで、公金を使わないで多くの人々の喜捨で建てようという趣旨のもとに、常磐神社境内の、鎮霊社(桜山に移って護国神社)跡の現在地に、昭和18年に建てられたそうです。

 

神崎寺(天王町8-17)
 時の知事・吉永時次の書による、桜を記念植樹したとも刻した石碑が、神崎寺本堂裏手あたりにあります。

 

村社鹿島神社碑裏(中河内町95)
 村社鹿島神社と刻まれて、社前に建てられた石碑の裏側には、皇紀二千六百年記念いう文字と奉納者名が刻まれています。ここでは「村社」の文字が再表示されたようです。

 

香取八幡宮鳥居(川又町561)
 皇紀二千六百年という文字が裏側に刻まれた鳥居がありました。

 

俊澄寺(しゅんちょうじ 元三大師)石灯籠(赤塚1-1965-2)
 表には、「奉元三大師」とあり、裏には、「紀元二千六百年建之」の文字と奉納者名が刻まれていました。すでに80年以上たっているわけです。


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