水戸では、6臂(ろっぴ 6本の手)のうち2臂が合掌をして、残りの右手上が戟(げき ほこ)、右手下が矢、左手上が法輪、左手下が弓を持つというスタイルが多いようです。今回の写真では、上5体は多分それで、一番下は剣を持つスタイルのようです。
河和田町(36°21'44.2"N 140°25'03.8"Eあたり)
道路脇にある石造物群の中にあります。上部が欠けていて、「二亥」が見えます。干支で見てみると、文化12年(1815 干支は乙亥)が一番可能性がありそうです。これと下の青面金剛は、弓と矢が摩滅してしまったのかもしれませんが、下向きの手は棒状に見えます。
葵稜高校グランド(高田町174)脇(36°19'57.9"N 140°23'58.9"Eあたり)
下部には、よく見えませんが、見ざる聞かざる言わざるの三猿があるようです。上部もよく見えないのですが、広さから考えると何かあったようにも思えます。
八坂神社(河和田町955-2)
ふっくらした青面金剛で、憤怒像というより、仏に近いような感じです。そう思ってよく見ると、台石には邪鬼や三猿ではなく、反り花がありますので、たぶん仏を意識しているのでしょう。この左右下の手は弓と矢がわずかに見えるようです。
延命地蔵尊(大串町 36°20'09.1"N 140°32'32.0"E)
風化でよく見えませんが、これも足の下には邪鬼、その下の台部分には三猿があるようです。頭の炎髪がとがっているようです。
宝蔵寺(谷田町633)
宝蔵寺の青面金剛はこれで4体目です。上部に日月がありますが、普通向かって左側は欠けた月になるようですが、これでは満月になっているようです。足で邪鬼を踏み、その下には三猿が彫られています。
観音寺跡(吉沼町686-3)
これはすでに水戸の青面金剛(1)でご紹介した、剣を持つタイプです。左手でしょけらという女性を下げています。これだけはっきりとしょけらの見える形の青面金剛は水戸ではここだけです。