宇宙を構成している五つの要素である、「地水火風空」を形にした、下から方形(地)、球形(水)、三角形(火)、半月形(風)、宝珠(空)の五つの石を積み重ねた石塔です。密教の教義をあらわしたもののようで、大日如来の象徴ともされたそうです。「地水火風空」の外に、大日真言の「ア(地)バ(水)ラ(火)カ(風)キャ(空)」の梵字を刻したものも多いようです。日蓮宗では、上から「妙・法・蓮・華・経」の五字を刻んでいるそうです。初めは、お堂や仏像の造立記念の碑や供養塔などとして建てられたようですが、墓としても建てられるようになったそうです。
亀千代の五輪塔
薬王院(元吉田町682)
徳川頼房の、4歳で早世した次男亀千代の供養塔だそうです。光圀によって水戸徳川家の墓地、常陸太田の瑞竜山に改葬されたため、土中に埋められ、それが昭和43年に発見されて今のような形になったそうです。これは梵字の例のようです。
松平駿河守墓
妙雲寺(見川2-103)
光圀の妹・菊姫の夫(松平駿河守源康兼)の墓だそうです。夫の死後、菊姫はその後つくられる偕楽園好文亭あたりの別荘で尼として追善の生活を送ったそうです。3代藩主・綱條(つなえだ)は、日蓮信者だった菊姫のために、見川稲荷から七面堂をこの地に移したそうです。幕末、斉昭は偕楽園築造のとき、七面堂を妙雲寺に移したそうです。
真木景猶(かげつぐ)の五輪塔
本法寺 千波町2367
頼房の依頼で、前の城主から膝下の家臣として移った人で、家老に準ずる地位についていたそうです。五軒町2にある真木神社のある地は、この人の屋敷跡だそうです。
薬王院の五輪塔
薬王院(元吉田町682)
地水火風空が下から刻まれている例です。
妙雲寺の五輪塔
妙雲寺(見川2-103)
この寺は日蓮宗なので、「妙法蓮華経」の五文字が刻まれています。
圷大野共新墓地の五輪塔
共同墓地が整理されて、たぶん一カ所にまとめられたものでしょうが、いくつかの五輪塔が墓地の入口に並んでいます。庶民の墓としても建てられていたということなのでしょう。