ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の紛らわしいこと

2016-11-16 20:33:26 | 水戸

 ぶらっと歩きを始めて、今さらどうしようもないものの、紛らわしくて困ったことがいくつかあったので並べてみます。

 

水戸街道の起点
 銷魂橋(たまげばし)の解説碑(写真上)には、水戸街道の基点とあり、本町通り、水戸信組のある交差点には陸前浜街道起点という石碑があります。陸前浜街道は、北にのびた街道も含んだ、いわば広域化した水戸街道のようです。銷魂橋は、水戸への出入り口としての基点という意味のようで、街道里程の基点は、本四町目(水戸信組のところ)のようです。後者の石碑は、下の写真、正面手前です。

 

常陸山橋
 備前堀の整備地域にある、いかにも常陸山橋(写真上)らしいものと、そのすぐ下流の市道浜田7号線にある橋が常陸山橋(写真下)です。常陸山がそれまでの老朽化した橋にかえて建てたというのは、前者です。もちろん、相撲とりがはいった常陸山橋は、新しくなったものです。後者が古いだけに紛らわしく感じます。

 

三の丸にある本丸・二の丸
 現在の地名表示では、水戸城の本丸、二の丸、三の丸一帯が三の丸と表示されています。従って、旧本丸は三の丸1丁目、旧二の丸は現在の三の丸2丁目です。三の丸内にある二の丸といったことになり、大変紛らわしいものです。(写真で旧本六丁目石碑は、右隅です。写真は水戸市観光協会発行「水戸の城下町マップ 幕末版」です。)

 

本六町目は本町3丁目
 同様に、下町(したまち)でも、旧町名である本一町目、本二町目が、新しい地名表示の本町1丁目、本三町目、本四町目が本町2丁目、本五町目、本六町目が本町3丁目になっています。(写真は旧本六町目石碑の周辺です。石碑は左隅です。)

 

水高(すいこう)色々
 茨城県立第一高等学校、茨城県立水戸工業高等学校と旧制第一高等学校が水高(すいこう)といわれているようです。これもよく確認して、見たり聞いたりしないと、とんだ間違いをしそうです。

コメント
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