時空人 goo blog「脳トレ宇宙論ー人類の見果てぬ夢」

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32. 東洋と西洋

2021-06-10 15:22:52 | 人類・新世界・未知との遭遇

東洋と西洋における認識について

西洋においてはいわゆる「全知全能の神 Almighty and omnipotent god」が根源的な出発点である。そして全知全能という認識は人間由来である。これに対して、東洋の根源的認識は「人知を超えるもの Something great」の存在である。

 

■西洋と東洋における自然理解について. 一自然観のパラダイム転換へ向けて-. カーレン・グロイ. 石田三千雄訳.(抜粋)

(以下訳者あとがきより)

グロイ教授は本講演で、現在自然科学のパラダイムに疑いがもたれ、危機に瀕していることをま指摘する。環境破壊などは西洋の機械論的パラダイムの帰結である。教授は西洋のパラダイムと東洋のパラダイムを対比させ、一方の考え方に他方の考え方を取り入れることによって一方の考え方の欠陥が除去されたり、和らげられたりするのかどうか、また一方のパラダイムが他方のパラダイムによっ
て置き換えられるのかどうか、という問題提起をする。

教授は西洋のパラダイムの特徴として

1. 観-客観」関係、

2. 分析的-総合的方法を含む機械論的性格、

3. 実験、

4. I主人-奴隷」関係挙げ、

これに対して東洋のパラダイムとして 

1.一切の生きとし生けるものの統一、

2. 有機性と類比的方法(アナロジー)、

3. 無為の原理、

4. 不害(アヒンサー)の原理を挙げている。

この両パラダイムの相違は、基本的には機械論的世界観と有機的世界観との相違である。自然を加工や支配の対象とせず、畏敬や尊敬の念をもって自然に接する東洋のパラダイムに教授は共感を示しているように思われる。しかし、教授は西洋のパラダイムに東洋のパラダイムを部分的に取り入れることで今日の危機的状況は乗り越えられないと述べる。全体的な見方の転回としての「自然に対する倫理的な革命」がいまや要請されているが、今日まだ誰もそれに対して用意ができていないと教授は締めくくっている。

グロイ教授が東洋のパラダイムの中で挙げている「不害J(アヒンサー)は、すべての生類に対する不殺生、非暴力、愛情、同情を意味する口それは「傷っけない」ということであり、生きとし生けるものに愛情をもって接するということである。これはインドの全宗教を貫く基本的倫理徳目の一であり、仏教・ジャイナ教・バラモン教ともに五戒の第一に挙げており、特にジャイナ教はこれを厳
格に守ることで知られ、解脱の手段と見なしている。ガンジーの非暴力主義もアヒンサーの実践と見なすことができる。アヒンサーはわれわれ東洋人が今日ともすれば忘れがちになっている生きとし生けるものに対する愛情という倫理的態度を思い起こしてくれるであろう。

■砂田 利一(明治大学総合数理学部)、「数学の発展と展望」、WEB(抜粋)

この論文は,幾何学の歴史を「宇宙をいかに記述するか」という観点からの解説したものである.その執筆中,幾何学のみならず,数学という学問に携わった人々について考えることが多々あった.たとえば,数学者を取り巻く環境と数学研究の間の関係についてである.すなわち,彼らの生きた時代と場所がどのように数学と個々の数学者に影響したのかということである.

1  国民性,民族性と数学
2  無限の概念
3  神学と宇宙観

4  展望
数学の将来を語る場合,人工知能(AI)と数学の関係は無視できない話題である.既にAI はプロの碁と将棋の棋士を打ち負かし,さらに人間のみが関われると考えられていた分野へAI が進出する勢いは加速しつつある.数学も例外ではない.とは言え,人工知能がどこまで発展し,数学研究に影響するのかは,実際には予測不可能と言うのが正直な思いである.無理をすると,「何でもあり」,「言いたい放題」の予測ということになりかねない.

確かなことは,4 色問題やケプラー予想の解決に援用されたように,問題解決におけるコンピュータの使用は増えていくだろうし,中でもシミュレーションでは増々大きな力を発揮するだろう.

しかし,例えば100 年後の未来はどうなっているか.特にAI の学習機能が進歩し,機械に知能とよべるものが備わったとき,数学者はそれとどのように付き合っていくべきなのか.SFの映画,例えば「2001 年宇宙の旅」,「アイ,ロボット」,「A.I.」のような映画に登場する人工知能は「問いかけ」を自由に行うが,それが近未来に起きうることなのか,あるいは永遠に起きないのか.


現時点では,「問と答」という人間と機械とのやりとりを考えたとき,問いかけは人間の得意技であり,答えるのは機械のほうが断然勝っている.すなわち,問いかけのためには,問題意識を持つ必要があり,問題意識は経験や外的影響,さらにはセンス,場合によっては美意識に深く関係している.AI は美意識を持つことができるのだろうか


AI に関連する問題がある.我々は何故ここにいるのか,何故宇宙を知りその調和を語ることができるのか.宇宙は何故「知性」あるいはその根源にある「意識」というものを生み出したのか.「自由意志」(もしそのようなものがあるとすればだが)は,宇宙の物理法則とはどのような関係があるのか.AI は自由意志を持ちうるのか。自由意志の問題も,宇宙の構造問題と同じく神学に深く関係し,その歴史は古い.アウグスティヌス(354{430)は,人間の罪を例として,自由意志と神の予知を両立させようと試み,『哲学の慰め』を著したボエティウス(480 頃ー524)は,全知全能の神の存在と人間の自由意志の存在を適合させるため,神は万物の知識を無時間かつ即時に手に入れるのであって,時間の流れの中で生きる人間が自由意志があると意識するのと矛盾はしないと主張する. しかし現在でも,自由意志に関係する決定論,非決定論の正否には決着がついていない.
ドイツの生理学者エミール・デュボア・レーモン(1818-1896)が言うように,例え宇宙のすべての法則を知りえたとしても,この疑問に答えられる者はいないのかもしれない。 宇宙は有限か無限かについても答えられないし,AI がどこまで発展するのか,自由意志が実際にあるのかどうかにも答えられない.

・・・(宇宙の神秘に魅せられると,)・・・  アインシュタインの言葉である「人間の運命や行為を司る神は信じないが,すべての存在の調和に顕われるスピノザの神(宇宙的宗教感情)は信じる」という言明はなるほどと思うようになる.しかし,これはあくまでも個人的感情であって,知性ある何ものかによって生命や宇宙が設計されたとする説であるインテリジェント・デザインやサムシング・グレート(インテリジェント・デザインの日本版)のような,似非科学的学問の押しつけとは異なる。・・・

スピノザの考える「神」とは URL:https://textview.jp/post/culture/35494 参照

スピノザの哲学の出発点にあるのは「汎神論」「神は無限である」という考え方です。

「汎神論」とは、森羅万象あらゆるものが神であるという考え方です。日本では「八百万(やおよろず)の神」のような、多神教的な自然崇拝のイメージが馴染み深いと思いますが、スピノザの「汎神論」では神はただ一つです。

例えば私たち人間は有限です。空間的には身体という限界を持っていますし、時間的には寿命という限界を持っています。

神は絶対的な存在であるはずです。ならば、神が無限でないはずがない。そして神が無限ならば、神には外部がないのだから、すべては神の中にあるということになります。これが「汎神論」と呼ばれるスピノザ哲学の根本部分にある考え方です。

■レーモンに対するヒルベルトの反応と反論

レーモン: Ignorabimus 「吾等は知らないであろう。」

ヒルベルト:我々は知るであろう」

ヒルベルトの墓碑(Wir mussen wissen ? wir werden wissen)


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