「明治政府が樹立した時だって、幕末の志士たちは殺され、剥奪されしながら歯抜けの人材で明治政府が出来たようなものだから・・・民主党もそれに比べればまだいいのかもよ!」彼女
「明治政府も、出来立てほやほやのときは・・・鹿鳴館で女性たちが外国の要人を御もてなしするのにずいぶん奥方様達が活躍したそうだから、花柳界育ちの女性と言うのは男性の扱いが上手なのは、今も昔もおなじだね!」私
こんな会話から思い出したのが、わがふるさと・・・小樽のあれやこれ。。。
小樽生まれの私は、幼い頃にいつも小樽湾の岬に突出した、濃い紫色の『銀鱗荘』という不思議な建物を遠くに見ながら・・・その建物が鰊御殿と呼ばれ、小樽ニシン漁の群来に財を成した謂れの建物だと知ったのは、ずーと後になってのことです。その鰊御殿の持ち主の妻であったタキさんという奥様は貧しいころから小樽余市でグスべりというすっぱーい果実を売って生計を立てていたそうです。
その方は、そんな立派な小樽を代表する資産家になっても、お手伝いさんがたくさんいるにもかかわらず、ずーと身なりも貧しくずーとグスベリを売り続け、地元からは「グスベリばーさん」と親しまれていたようです。その後、余市から小樽平磯岬に移設されたのが今に至っています。
このようなタキさんのような商人が多かったむか~しの小樽人気質。
今もたまに、友人と小樽に行くと食事を楽しみますが・・・ぜひ一度小樽の栄華と小樽人の気質が感じ取れる銀鱗荘へお立ち寄り下さい!
おすすめです!!!