福光Cafe

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いつ、いかなる時も・・・

2006年01月22日 | レボリューション

軍拡化傾向が著しかった大正時代から昭和初期にかけて、

反軍を叫んだ桐生悠々と小林橘川。

ともに名古屋で活躍した二人だが、その言論の軌跡は大きく異なる。

桐生は信濃毎日新聞、新愛知などいくつかの新聞社を遍歴し、

名古屋で個人誌「他山の石」を創刊。この間、一貫して反戦の主張を展開。

雑誌の発禁、削除処分は27回にも及んだ。

それでも平和を愛する「抵抗の新聞人」として、言わねばならないことを言い続けた。

小林は名古屋新聞の主筆として、反軍の論陣を張る。

ところが、戦争へと動く時流に絶望したのか、やがて「個人としては平和を

欲求するが、集団としては戦争に投げ込まれる...それが運命だ」と、

“あきらめ”の言論が見え隠れするようになる。

『民衆ジャーナリズムの歴史』の中で、門奈直樹氏は二人の軌跡を比較し、

「大事なことは“憤り”を持続させる精神であり、それにこだわりつづける

気概なのだ」と指摘する。

正義は、いついかなる時も正義である。

時流などでどうして変わろうか。

「正しい」ことは「正しい」と言い切る言論を展開したい。
                                <聖教新聞 名字の言より>

 

日本人は熱しやすく、冷めやすいと言われる。

善いものには「すばらしいと評価」し、悪に対しては「決して許さない」との

持続精神を持ちたいものだ。

最近はあらゆる分野で、持続可能なシステムづくりが叫ばれているが、

大事なことは、『持続可能な精神』がなければ本当の力は発揮できないと考える。

 

 

 


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