軍拡化傾向が著しかった大正時代から昭和初期にかけて、
反軍を叫んだ桐生悠々と小林橘川。
ともに名古屋で活躍した二人だが、その言論の軌跡は大きく異なる。
桐生は信濃毎日新聞、新愛知などいくつかの新聞社を遍歴し、
名古屋で個人誌「他山の石」を創刊。この間、一貫して反戦の主張を展開。
雑誌の発禁、削除処分は27回にも及んだ。
それでも平和を愛する「抵抗の新聞人」として、言わねばならないことを言い続けた。
小林は名古屋新聞の主筆として、反軍の論陣を張る。
ところが、戦争へと動く時流に絶望したのか、やがて「個人としては平和を
欲求するが、集団としては戦争に投げ込まれる...それが運命だ」と、
“あきらめ”の言論が見え隠れするようになる。
『民衆ジャーナリズムの歴史』の中で、門奈直樹氏は二人の軌跡を比較し、
「大事なことは“憤り”を持続させる精神であり、それにこだわりつづける
気概なのだ」と指摘する。
正義は、いついかなる時も正義である。
時流などでどうして変わろうか。
「正しい」ことは「正しい」と言い切る言論を展開したい。
<聖教新聞 名字の言より>
日本人は熱しやすく、冷めやすいと言われる。
善いものには「すばらしいと評価」し、悪に対しては「決して許さない」との
持続精神を持ちたいものだ。
最近はあらゆる分野で、持続可能なシステムづくりが叫ばれているが、
大事なことは、『持続可能な精神』がなければ本当の力は発揮できないと考える。