福光Cafe

目覚めの珈琲、癒しの珈琲、希望の珈琲など淹れたての香りをのせてお届けします。

まだまだ再会していない人

2011年05月30日 | コーヒータイム

私の知人、友人にあっては家族がバラバラに生活しているのはあたりまえです。

国、行政はあまり良くわかっていない。

避難家族にあっては、避難所ばかりではない。

生活基盤の住宅、仕事の住宅、子どもの学校のための住宅という3宅の可能性あり。

これが1箇所で生活できる家族はほとんど無い。

まだ再会していない人もいるので、これからも時間の許す限り会いたい。

 

 

     


新生 ~ 自分も地域も社会も新しくなってこそ

2011年05月29日 | レボリューション

自分だけの幸福がありえないように、自分だけの復興もありえない。

地域も社会も復興を成し遂げてこその自分。

そのためにも自分ができる最大の奇跡を残してこその復興。

新生とは最大の奇跡。

 

「こんなことになるとは夢にも思わなかった」

大震災の起きた3・11以来、避難所で暮らす青年。

きょうまでの不遇の出来事が毎晩、繰り返し蘇ってきた。

「なぜだ、なぜなんだ」

それでもこのままではいけない ......

やがて今の苦難を受け止められる自分に変わった。

ある日初老の男性と銭湯で出逢う。

避難の身で仕事を探しているとの話から、同じ湯船にいる知人の社長

(重機の部品製造会社)を紹介された。

しかも、青年は100分の1ミリ単位で金属を切削できる技術を持っていた。即採用。

「東北の復興のために役に立てる。最高の生きがいです」

「こんなことになるとは夢にも思わなかった」     「名字の言」引用                              

                                            

 

     


フェニックスの集いin会津 ~ 猪苗代

2011年05月28日 | 出来事

久しぶりでY夫妻と昼食。

茅葺き屋根の蕎麦専門店「石筵」

今は観光客激減で、昼食時にもかかわらず空席が...

今の時期は満員で待ちのお客もいたのになあと思いつつ、今回の震災の影響は大きいと、

改めて感じざるをえなかった。

時間より30分早く施設へ到着。

行きたいと思いながらなかなか行けなかった。初訪問で感激でした。

しかも震災以来初めて会う方も多く、再会を喜び合った。

皆、困難も吹き飛ばすような前向きの心意気で盛り上がりました。

必ず一人ひとりが新しい自分になり、「新生新世紀圏」を構築しようと決意し合った。

 

 

     


大切な人

2011年05月25日 | 音楽

この大震災で大切な人を喪った多くの方。

帰ってくることはないけれど、いつまでも心に生き続けていると感じられる日が、

くることをお祈りします。必ずくることをお祈りします。

心に染み入るように、少しずつ少しずつ大切な人をみつめてください。

悲しいことではなく、今までの面影が自然にすっと入り込んでくるように受けとめてください。

一緒に生きていると錯覚するように、じっくり時間をかけて乗り越えてください。

私も友人、知人で亡くされた方がいます。

かける言葉もできませんが...   祈ってあげることはできます。

 

    


今日は癒されています

2011年05月24日 | コーヒータイム

今日はなにげに掃除、洗濯なんぞをして、コーヒーを飲みながら音楽を聴きながら読書。

久しぶりに自分ひとりの時間をもった。

初夏の浜辺をドライブしたな~と思いながら...

今は変わり果てた海しかないな~...

もう一度あのような景色が見たい。

癒される音楽を聴いてください。

 

 


まだまだ先は長いが...“負げでたまっか”

2011年05月23日 | 出来事

21日Sさん家族の避難先住宅へ。

久しぶりの対面。満面の笑みで。

話したいことが沢山あって、あっという間の4時間でした。

写真を撮り、寄せ書きを書いてもらい、30秒間のムービーメッセージも。

皆に後から見せてあげたい。

Sさん家族と別れて、沿岸部を走らせながら見た光景は...

こんな所の道路までにもと思うように船が横たわっていた。

バイパス道路まで津波の痕跡が。

道すがら聞いた話では、洲と漁港入り江を結ぶ松川浦大橋の上で津波を見ていた人が、

その大橋を超える高さの波で犠牲になったと。なんとも言えない。

そういう話を聞いたら、なぜかあらゆる光景を写真に収めることができなかった。

 

やはり社長だった。

強さも、行動力も、先見性も、スピードも兼ね備えていなくては務まらないという事。

いろいろ話をした。夕方6時から午前2時まで飲んだ(笑)

強くなければだめだ! 日常生活の中での人脈! さまざまな危機管理意識!

それにしても運、不運の分かれ道とは...。

社会的地位があろうが、経済的に豊かであろうが、災害の前には無力だ。

今ほど人と人との触れあい、人に尽くすことの喜びが、

こんなにも感動を沸きあがらせるものかと、あらためて痛感させられた。

同じ地域の役員だったHさんにも電話したが、出張だった。

22日Hさんに電話すると早速社長の家へ来た。

久しぶりに会うが、相変わらずフットワークが軽い。

朝市で買った惣菜物で、遅めの朝食。

NPO法人を別に立ち上げていて、各地の避難所周りをしている。

古い戸建て住宅を事務所にしていて、訪れるスタッフ・関係者を寝泊りさせている。

ばらばらになっている役員が改めて集い、復興会議をしようという事になった。

さっそく段取りしよう(笑)

 

 


沿岸部をこの目で

2011年05月21日 | 出来事

やっぱり座談会はいい!昨夜は避難しているかたも参加。

やはり人とのふれあいは、自分を元気にさせてくれる。

今日は相馬周辺の沿岸部を回り、この目でしっかり見てこようと思っています。

午後はSさんと久しぶりにお会いします。夕方からは社長と。

今までの日常の延長のような気持ちで。。。

今日も暑くなりそう。

 

 

 


時に“こころのふれあい”は

2011年05月20日 | 出来事

そばにいてじっと聴いている。みつめながらうなずく。なにもおこがましいことは言わない。

それだけで気持ちがおちつく。こころがふれあった気がした。

そんなやりとりがほんとうにうれしかった。

昨日の余韻をたずさえて、今日は座談会。

 

 


二本松~福島~相馬へ

2011年05月19日 | 出来事

 今日、明日、明後日へと二本松・福島・相馬を巡ります。

一番の楽しみは、相馬です。

古民家で時々酒を酌み交わした社長と、相馬で会う約束をしています。

久しぶりに飲みながら、語り合いたいと思います。

「あなたの今までの語りを、改めてじっくり聴きたい。この時だからこそ強く思った」

先輩なのに恐縮しかり。でもじっくり語り合いたいとワクワクしています。

今日は、智恵子のふるさと「安達太良・二本松」です。



 

 


誰かのために戦う人間は強い

2011年05月18日 | レボリューション

先日、同級生が集った居酒屋で、話が出た同級生。恩師。どうしているかな?

昨日、臨時災害対策本部へ出向き、確認したい相手の名前と自分の名前・携帯番号等を

記したメモを提示。自分の携帯に電話をほしい由、お願いしてきた。

びっくりすることに、2・3時間もしないうちに同級生と恩師から電話がかかってきた。

その同級生は、沿岸部の駅前近くでご主人と一緒に中華料理店を営み、自宅も近くに居を

構えていたが、震災当日は駅舎も、店も、自宅も津波で流された...。

電話の第一声が、「〇〇君?お店も自宅も流されてしまった...」

今は娘夫婦の処にずっと避難しているとの事。

一週間後には借り上げ住宅に住めるようになるとの事。

落ち着いたら会いましょうと約束して電話を切ったが、良い言葉を添えることはできなかった。

恩師は担任ではなかったが、クラブの顧問だった。

今は8畳一間のアパートにご夫婦で入居しているとの事。

この場所が五度目の避難場所との事。

一昨年開催した同窓会。もうあのような楽しいことは、なくなってしまうのかなと、

思っていたところに探しているとの電話があったと。

「たくさん教え子いるが、電話が来たのは〇〇君が始めてです。涙が出るほどうれしい」

「3年後の同窓会、必ずやりますから先生もお体大切に」と電話をきった。

思いは実行に移してこその喜びであると、しみじみ感じた。

夜には、思いがけない出会いがあった。

以前地域で活躍していた女子が、転勤で今の地に何年か前に赴いた。

その女子と再会し、涙を流しながら歓迎してくれた。

「〇〇さんからラミネートしていただいたもの、今も大切にとってあります」

さらにあふれる涙をおさえていた。



スポニチ 二宮清純氏コラム

東北楽天の本拠地・クリネックススタジアム宮城。開催前の選手会長・嶋のスピーチ。

「東北の皆さん、絶対に乗り越えましょう、この時を。今、この時を乗り越えた先には、

 もっと強い自分と未来が待っているはずです。絶対に見せましょう、東北の底力を」

真価が問われる今季、逆境の中で嶋は線の細い優等生からたくましいリーダーへと変貌を

遂げつつある。ネバーギブアップ。「誰かのために戦う人間は強い」

 

負けない心。くじけない心。強くなるための試練。

強くなって皆に幸せになろうと呼びかけられる勇気。

自分が希望の灯台に。いろいろ強く心に決意を固めた。

 


 


生き生きと輝くことが感謝の証

2011年05月16日 | レボリューション

昨日、今日と励ましを受けた。

ほんとうに、ここまで来て一人の人を大切にしていくのだと感激いたしました。

さらに、私も励ましはできないが、みなさんのドラマを聴きに様々なところへ行きます。

こういう時だからこそ、生き生きと輝いていられる自分でありたいし、それによって

一人でも、明日から前進していこうという勇気が、湧いていただければありがたい。

 

トゥインクル トゥインクル
 


お久しぶりです相方様。

2011年05月15日 | 出来事

このブログの中ではしばらく相方登場してませんね。

せっかくですから本日登場していただきます。

最近の相方は、単身赴任で私と別々の生活。久しぶりに昨日、今日お会いしました。

一緒に買い物、美容院、食事。。。

日常の淡々とした出来事が、そのまま思い出になっていく。

今日はそんな風に強く感じた。特別な出来事だけが思い出にはならない。

相方へ。明日からまた仕事に、お疲れ様です。私もさらにまた巡回いたします。

 

 

    


いわき ~ 青春の扉

2011年05月14日 | 食べる

いわきの駅ビルも、大通りへの通路も新しくなった。

最近は、時々しか訪れなくなってしまった。街並みも大きく変わった。

高校生の頃は、いわゆる喫茶店が数多くあった。

デートは喫茶店で、駄弁るのが主流(古い)笑。

平日は、帰りの電車を合わせて同じ座席(昔は、ボックス席が主流)で、話し。

土曜日は、映画を観て、喫茶店で音楽を聴きながら、話をするのが基本パターン。

日曜日は、ボウリングをしたり、喫茶店で話をする。たわいもなかったが、それが楽しかった。

 

     

 


“癒しの窓”は憩いの場

2011年05月13日 | コーヒータイム

今日は、磐梯山麓のペンションへ。

避難している家族の、3・11からのドラマを聴きに行きました。

地震当日は、病院に着く寸前に遭遇。

尋常ではない揺れに、車を道路脇に止めて震えていたと。

その後病院で薬ももらえず、自宅へ帰宅するも、近くの家の庭は地割れがひどかった。

家に戻ると、サッシの窓のガラスはすべて割れていた。

屋根の瓦も崩れ、家の中の家財道具、食器棚等も倒れていた。

翌日、原発避難するも、避難距離拡大に伴い何箇所も廻った。

この時、母親が体調崩し、しかも父親も体調悪化し救急車で病院へ運ばれた。

その後、親戚が飛行機チケットを手配してくれて、福島空港から羽田へ。

しかし、ガソリンがギリギリで、福島空港までいけるかどうかだったと。

結果的には何とか間に合い、無事空港に着き搭乗できた。

しばらく親戚の家に滞在したが、町行政の情報が入りにくいということで、

今のペンションへ滞在することになった。

今後は仮設住宅、もしくは借り上げ住宅を待っている状態。

前向きに進もうとしている姿に安心しました。私と会えてほんとうに喜んでいました。


その足で、以前時々訪れていた、磐梯山麓にある「癒しの窓」へ。

久しぶりに会うママも元気でした。

今年は雪が多かったため、例年だと4月下旬にはオープンしているが、

連休明けにオープンしたばかりだったと。ちょうどタイミングが良かった。

2組の客も帰ったので、しばらく話し込みました。

最近は、なじみの客に連れられて、近くに避難している人が少しずつ増えていると。

数々のドラマ話を聞いていて、胸が切なくなりますと。

ここが皆さんの語れる場所、まさに癒しの場所になればうれしいと。

相変わらず、ママは癒してくれます。またコーヒーを飲みにきます。