福光Cafe

目覚めの珈琲、癒しの珈琲、希望の珈琲など淹れたての香りをのせてお届けします。

さあ!新生の春だ。

2012年04月04日 | レボリューション

この一年様々な、応援・支援をいただいた。大感謝の思いです。

今月からその思いに報いるためにも、友情と信頼の拡大に走る。

まずは今月8日のフェニックス大会で、皆と会いパワーを共有する出発点にしたい。

今月は新年度ということで、土日を中心にたくさんの方と会う。

まさに友情と信頼を広げる絶好の機会。

ゴールデンウィークは、東京・横浜中心に。

人との触れ合いの中にしか、絶対的な幸福は味わえない。

 

      


皆様の心に“福光の春”が咲き香りますように

2012年03月17日 | レボリューション

今日は座談会で、自分の心が揺り動かされる出会いがありました。

鉄工芸家 長沢 貢氏。http://www.nagasawamitsugu.com/

幸福の尺度は心の自由さだ。執着心を取り払ったところに生まれる。

全てはひとりひとりの心根で決まる。


先月2月21日から3日連続で、福島民報に掲載された特別寄稿。

創価学会池田名誉会長の福島に対する想いが綴られた。

「負けないうつくしま」 「一歩前進のうつくしま」 「世界の太陽うつくしま」

ここで語られているのは、希望・勇気・福光です。

池田名誉会長のメッセージにこのような一節があります。

“希望は人生の宝なり。勇気は勝利の力なり”

“福光の春”が、自分の心にも、周りの人の心にも、花が咲き香るように歩を進めましょう。

自分的には、生命の、精神のトレーニングを毎日の日課としながら。

 

         


笑顔のまんま

2011年07月24日 | レボリューション

今日はTVがアナログからデジタルに変わった日。(岩手・宮城・福島を除く)

27時間テレビで、SMAPの出張ビストロが岩手・福島へ。

さんまのお笑いチームも宮城へ。

すべては被災した方々が、少しでも笑顔を取り戻してほしいという思いから。

今日から変わろう!自分を変えよう!


♪ 笑顔のまんま 笑顔のまんま 人生生きてるだけで まるもうけ



     


相手の心との対話

2011年06月17日 | レボリューション

金曜ロードショー 2008年「ブタがいた教室」

「ハガネの女」とも共通するものは、心の対話を通じて納得を得ながら、自立と共に

成長を描き出しているところ。


菅総理には被災者の心と対話をしてほしかった。

今となってはもう遅いが...。 お遍路するならボランティアしたら。

お遍路は自分との対話。被災地でのボランティアは自分と相手との心の対話。

どちらが価値あるか歴然。

 

     


新生 ~ 自分も地域も社会も新しくなってこそ

2011年05月29日 | レボリューション

自分だけの幸福がありえないように、自分だけの復興もありえない。

地域も社会も復興を成し遂げてこその自分。

そのためにも自分ができる最大の奇跡を残してこその復興。

新生とは最大の奇跡。

 

「こんなことになるとは夢にも思わなかった」

大震災の起きた3・11以来、避難所で暮らす青年。

きょうまでの不遇の出来事が毎晩、繰り返し蘇ってきた。

「なぜだ、なぜなんだ」

それでもこのままではいけない ......

やがて今の苦難を受け止められる自分に変わった。

ある日初老の男性と銭湯で出逢う。

避難の身で仕事を探しているとの話から、同じ湯船にいる知人の社長

(重機の部品製造会社)を紹介された。

しかも、青年は100分の1ミリ単位で金属を切削できる技術を持っていた。即採用。

「東北の復興のために役に立てる。最高の生きがいです」

「こんなことになるとは夢にも思わなかった」     「名字の言」引用                              

                                            

 

     


誰かのために戦う人間は強い

2011年05月18日 | レボリューション

先日、同級生が集った居酒屋で、話が出た同級生。恩師。どうしているかな?

昨日、臨時災害対策本部へ出向き、確認したい相手の名前と自分の名前・携帯番号等を

記したメモを提示。自分の携帯に電話をほしい由、お願いしてきた。

びっくりすることに、2・3時間もしないうちに同級生と恩師から電話がかかってきた。

その同級生は、沿岸部の駅前近くでご主人と一緒に中華料理店を営み、自宅も近くに居を

構えていたが、震災当日は駅舎も、店も、自宅も津波で流された...。

電話の第一声が、「〇〇君?お店も自宅も流されてしまった...」

今は娘夫婦の処にずっと避難しているとの事。

一週間後には借り上げ住宅に住めるようになるとの事。

落ち着いたら会いましょうと約束して電話を切ったが、良い言葉を添えることはできなかった。

恩師は担任ではなかったが、クラブの顧問だった。

今は8畳一間のアパートにご夫婦で入居しているとの事。

この場所が五度目の避難場所との事。

一昨年開催した同窓会。もうあのような楽しいことは、なくなってしまうのかなと、

思っていたところに探しているとの電話があったと。

「たくさん教え子いるが、電話が来たのは〇〇君が始めてです。涙が出るほどうれしい」

「3年後の同窓会、必ずやりますから先生もお体大切に」と電話をきった。

思いは実行に移してこその喜びであると、しみじみ感じた。

夜には、思いがけない出会いがあった。

以前地域で活躍していた女子が、転勤で今の地に何年か前に赴いた。

その女子と再会し、涙を流しながら歓迎してくれた。

「〇〇さんからラミネートしていただいたもの、今も大切にとってあります」

さらにあふれる涙をおさえていた。



スポニチ 二宮清純氏コラム

東北楽天の本拠地・クリネックススタジアム宮城。開催前の選手会長・嶋のスピーチ。

「東北の皆さん、絶対に乗り越えましょう、この時を。今、この時を乗り越えた先には、

 もっと強い自分と未来が待っているはずです。絶対に見せましょう、東北の底力を」

真価が問われる今季、逆境の中で嶋は線の細い優等生からたくましいリーダーへと変貌を

遂げつつある。ネバーギブアップ。「誰かのために戦う人間は強い」

 

負けない心。くじけない心。強くなるための試練。

強くなって皆に幸せになろうと呼びかけられる勇気。

自分が希望の灯台に。いろいろ強く心に決意を固めた。

 


 


生き生きと輝くことが感謝の証

2011年05月16日 | レボリューション

昨日、今日と励ましを受けた。

ほんとうに、ここまで来て一人の人を大切にしていくのだと感激いたしました。

さらに、私も励ましはできないが、みなさんのドラマを聴きに様々なところへ行きます。

こういう時だからこそ、生き生きと輝いていられる自分でありたいし、それによって

一人でも、明日から前進していこうという勇気が、湧いていただければありがたい。

 

トゥインクル トゥインクル
 


断じて負けるな!勇気をもって。希望をもって。

2011年05月05日 | レボリューション

あるサイトの掲示板から。

「自主避難の生活は厳しく夜になると泣きたくなります。
でもこれから長い人生を、いい人生にしたいから、少しでも前をむきたいと思います」

「連休も終わりですね。明日からはどうなるかな?何か変えられるよう頑張ります」

「皆さん体調を崩さぬよう、身体に気をつけてまた一日乗り越えましょう」

「毎日の生活で、不満ばかり言ったり悩んでいるのに疲れました。
いつまでも悲劇のヒロイン?になってたらいけませんね。周りに自分達を心配してくれる方がいます。有り難いですね。話を黙って聞いてもらえる事が私に安心をくれます。・・・
今までにもいろいろな方に助けていただきました。いつか恩返しができるように生きたい」



確かに自分達の、誰にぶつけていいかわからない思いを、様々なところへぶつけても

最後は自分で立ち上がらないと強くはなれない。

自分に与えられた試練だから、自分で解決しなければ変わらない。

立ち上がろう!

 

  


負げでたまっか!と泣きながら。。。

2011年04月27日 | レボリューション

「災害に苦しむ民衆のために奔走したゲーテの洞察が思い起こされる。
一人の人間があらゆる『人生試煉のうちの/最も苦しいものを凌いで、自己を克服するとき』
──私たちは、『これこそ此の人の真骨頂だ!』と讃嘆すべきだというのだ」

 

「災害が打ち続き、人心が揺れ動く社会だからこそ、確固たる生命尊厳の思想と活力ある
希望の哲学、他者のために貢献する人間主義の連帯が何よりも大切だ」

 

「人間主義といっても、まず自ら手を差し出し、目の前の人の手を握ることだ。
傍らの人と支え合い、励まし合うことだ。そこから、すべてが始まる」

 

「今、私たちが要請されているのは『皆で共に生き抜く勇気』である。
そして、『未来の世代のために道を開きゆく勇気』であろう」

 

「東北出身の青年詩人・石川啄木は、日蓮大聖人の御振る舞いに深く学びながら、
論じていた。『この世界の最も堅牢なる城廓』は何か。それは『人の信念也』と」

 

一番、苦しんだ人ほど、一番、幸せになる権利がある。

一番、悩んだ人ほど、一番、偉大な使命がある。

                              聖教新聞 「随筆 我らの勝利の大道」より

 

明日 / 平原綾香

泣きながら聴いた。


“負げでたまっか!”

2011年04月13日 | レボリューション

大震災から1カ月が過ぎましたが、余震がまだまだ続いています。

1日も早い復旧、復興、解除を切に願っております。

先日、郡山で復興の励ましの集いが開催され、ひまわりの種が入った袋が配布された。

そこには、“負げでたまっか!”の文字が印刷されたシールが貼ってあった。

さらに皆さんにも分けてあげ、励ましのシールにして拡げて下さいと。

 

ひまわりは、放射性物質のセシウムを土壌から吸収する働きが、稲・野菜と比べると大きいそうである。

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/91197/82091/67575113

 

私も、“負げでたまっか!”を猛アピールしたいとの思いでアップしました。

 

ちなみに余談ですが、ひまわりの種からの連想。

私の好きな「西島三重子」の歌の中に、『おひさまのたね』があります。

人間皆に、太陽のように、お日様のように、周りの人を明るく、あたたかく、しあわせにするこころを持っていますよという歌です。

 

負けじ魂で、冬は必ず春となると確信し、人に尽くすことを喜びの心として前進していきたい!

 

 


ともかく希望をもって前進あるのみ

2010年01月01日 | レボリューション

2010年あけましておめでとうございます。

政治・経済・生活・事件。。。あらゆる分野で混迷を深めています。

しかしながら、これらの実相は一人ひとりの精神行動の集約であると、

よく言われてきました。

ともかくも、自分は「希望」「忍耐」「目標」「前進」をモットーに、頑張る決意の新年です。

皆様におかれましては、希望を失わない一年でありますようにお祈りいたします。

 


核廃絶の世界へ―

2009年09月21日 | レボリューション

広島原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」

慰霊碑が建立されたのは、原爆投下から7年後の1952年8月6日のことであった。

碑文の作者は、広島大学教授の雑賀忠義である。

その3ヶ月後の11月、長身のインド人が慰霊碑の前に立ち献花し黙とうを捧げた。

あの東京裁判で判事を務め、ただ一人、日本のA級戦犯全員の無罪を主張した、

インドの国際法学者ラダビノッド・パールである。

パール博士は碑文を見ると、通訳に何と書かれたいるのか何度も意味を確認した。

彼の目は、怒りに燃えていった。

「この“過ちは繰り返さぬ”という過ちは誰の行為をさしているのか。むろん日本人を

さしていることは明らかだ。それがどんな過ちであるのか、わたしは疑う」

彼は、敗戦国が戦勝国に屈して、加害者の責任をあいまいにしてしまうことが、許せ

なかったのである。パール博士は、原爆死没者慰霊碑に刻まれた文章の主語は、

日本人であると考えた。

しかし、原爆を落としたのはアメリカであり、日本人は被害者である。

その日本人が“過ちは繰り返しませぬから”ということが、博士には納得できなかっ

たのだ。このパール博士の発言は、ラジオや新聞で取り上げられた。

これに対し、広島市長の浜井信三(当時)は、「あれは原爆の犠牲者に対し広島市

民に限らず、生きている全人類の立場を代表した言葉だ」と述べている。

また、碑文の作者・雑賀忠義は、「広島市民であるとともに世界市民であるわれわれ

が過ちを繰り返さないという霊前に誓う ― これは全人類の過去、現在、未来に通じ

る広島市民の感情であり、良心の叫びである」と、パール博士に抗議文を送ってい

る。碑文をめぐる論争は、1970年にも再燃。

碑文は屈辱的であり、抹消すべきだという運動も起こっていた。

山本伸一は、敗戦国を擁護し、尊重する、パール博士の心を、嬉しく思った。

しかし、伸一は、この碑文は核戦争の過ちを二度と起こさないという、人類の誓いで

あるととらえていた。誰が加害者で、誰が被害者であるかを明らかにすることも必要

であろう。だが、慰霊碑にとどめるべきは、平和への誓いである。

また、被害者であるとの考えのみにとらわれ、加害者を糾弾しているだけでは、憎悪

と報復の連鎖を繰り返すだけである。

世界の恒久平和を創造していくには、被害者・加害者という分断的な発想を転換し、

地球上のすべての人が、同じ人類、世界市民としての責任を自覚することが必要で

ある。伸一は、慰霊碑の言葉はそれを世界に明示するものとして、高く評価していた

いたのだ。その言葉を広島の、日本の、そして世界の人びとの誓いとしていくには、

人類の心の結合が不可欠だ。

それを可能にする生命尊厳の哲理こそが、日蓮仏法なのである。

<新・人間革命より引用>

 

「核兵器 ― 現代世界の脅威」

1982年6月1日。ニューヨーク・マンハッタンにあるルーズベルトホテル。

格子柄の絨毯に敷き詰められた部屋に、三人のアメリカ人学者が入ってきた。

マンハッタン計画の参加者、バーナード・フェルド。

ノーベル賞受賞者、ジョージ・ウォールド。

世界的な行政学者の権威、ジョン・モンゴメリー。

待っていた日本人たちに静かに歩み寄る。長身を折って握手。

一斉にカメラが光る。マンハッタン計画の参加者が、原爆の被害者と対面する ―

メディアの注目が集まっていた。

重い空気。フラッシュの音まで、ずしりと腹に響く。

テーブルのジュースに誰も手を伸ばさない。フェルドが口を開いた。

「あなたたちは、アメリカを恨みますか?」

イエスかノーかを迫る、いかにもドライな米国人らしい問いかけだった。

「はい・・・・・。最初は憎くて、たまらんやった」

とつとつとした口調で婦人が答えた。長崎で被爆した橋本トミヨ。

「ばってん、今は怨んでましぇん」

爆心地から1.2キロ。全身にガラス片が刺さり、重たい梁の下敷きになった小柄な

体をもむように、声をふりしぼった。

「アメリカの人にも、私らが受けた苦しみを、二度と絶対に味あわせたくなかと。

そいだけです!」 耳を疑ったフェルド、ウォールド、モンゴメリー。

さらに橋本は、まるで世界に宣言するように、自分は創価学会の一員であると名乗

った。「池田先生に教わりました。『愚かな指導者の生命にある魔性が、一番悪か』

って!」 モンゴメリーは、池田会長が発表した軍縮提言にも目を通した。

非常に示唆に富んでいる。だが眼前の婦人にも、価値観をひっくり返されるような

衝撃を受けた。原爆を落としたアメリカ。長崎、広島の被爆者。

永遠に交わらない平行線と思っていたが、煉獄の炎をくぐり抜けた東洋の女性から

人類の根本命題を突きつけられた。

<月刊 潮から引用>

 

アメリカのオバマ大統領「プラハ演説」

核廃絶へむけて自分たちが変わるとの宣言であった。

日本は、唯一の被爆国として「核兵器は絶対悪」との平和アピールをすべき。

 

 

 

 

 

 

 

 


今、ほんとうに必要なこと。

2009年02月06日 | レボリューション

『若さに贈る』松下幸之助(講談社現代新書)

「商売というものは、ひじょうにむずかしいものだ。きびしいものだ。

いわば真剣勝負と同じだ。だから、大きな心配事にぶつかると、どうしたらこの困難

を克服できるかと、あれこれ思いめぐらして、眠れない夜を幾日も明かす。

それほどの心労を重ねなければならない。心配し抜き、考え抜く。

心労のあまり、とうとう小便に血が混じって赤くなる。

そこまで苦しんで、はじめて、どうしたらよいかわかり、心が安定し、そして新しい

光が見えてくる。道がひらけるのだ。すこしオーバーないい方かもしれないが、

一人前の商人になるまでには、二度や三度は小便が赤くなる経験がいるのだ」

「いのちをかける思いがあるならば、ものに取り組む態度というものがおのずと

真剣になる。したがって、ものの考え方が一新し、創意くふうということも、

つぎつぎに生まれてきます。あなたのいのちの力が、生きて働くからです。

そうすると、そこからわたしたち人間が繁栄していく方法というものが、

無限にわき出てくるといえるのではないでしょうか。

この無限にひそんでいるものを一つ一つ捜し求めていくのが、人間の姿であり、

わたしたちお互いの、人間としての努めであると思います。

もうこれでいい、これで終わりだ、けっしてそう考えてはならない。

それは、人間の務めを怠るずるい人だとわたしは思います」

 

第34回「SGIの日」記念提言 池田大作

「哲学者ガブリエル・マルセル『抽象化の精神 ― 戦争の要因たるもの』

マルセルいうところの『抽象化の精神』とは、その具体性からかい離した悪しき

独り歩きの謂であります。人間は、例えば戦争に参加するとなると、個々人の

具体的な人格的特性をすべて捨象し、敵を抽象的な概念 ―

ファシスト、コミュニスト、シオニスト、イスラム過激派、等々 ― で括ろうとする」

「一番の問題は、そうした『抽象化の精神』は、ニュートラル(中立的)で没価値的な

境位に止まっていず、『価値貶下的な帰納』(意訳:価値を定めるための決めつけ)

を引き起こす『情念的側面』、怨念を随伴している点にあります。

すなわち、抽象的概念で括ったとたん、それらは無価値なもの、低級なもの、

有害なものとして、駆逐されるべき対象の位置まで貶められてしまう。

人格的存在としての『人間』は不在となる。『抽象化の精神は情念的な本質をもって

いるものであり、逆にいえば、情念が抽象物を捏造する』と述べるマルセルは、

故に自分の哲学上の全仕事は『抽象化の精神に対する休みなき執拗な闘い』と

位置づけている。この指摘は、今なお、光を失っていないと思います」

「マルセルは、その一方でアメリカに代表される産業文明、機械文明の病理にも

容赦しませんでした。『まさしくテクノクラシーこそ、何よりも隣人の抽象化をなして、

ついには隣人を否定するところに成立つ』と。

半世紀たった今日、テクノクラシーの延長線上にある金融工学を駆使した

金融商品で巨額の利益を追い求める一握りの富者が、貨幣という『抽象物』の

化身さながらに、膨大な貧者に目もくれず巨万の富を独占している惨状が、

マルセルの切っ先をのがれることができるでしょうか。『隣人の否定』の上にしか

成り立たないような繁栄など長続きするはずがないし、また、させてはならない。

私は、まだソ連邦が存続していた20年前のこの提言で、普遍的な視座、理念への

アプローチは、『外在的』あるいは『超越的』なものであってはならず、徹して人間に

即した『内在的』なものでなくてはならないとして、『内在的普遍』ということの重要性

を訴え、多くの識者の賛同をいただきました。イデオロギーや貨幣の普遍性とは、

まさに『外在的』『超越的』普遍性であり、『抽象化の精神』の産物なるがゆえに、

具体的存在としての人間や社会を蚕食してやまないのであります。

私の申し上げる『内在的普遍』とは、その対極に位置しており、徹して具体性の

世界に根を下ろし、その内側からのみ探り当てることが可能となるであろう普遍的

な視座、理念のことであります」

「まず身近な具体的なところから始まり、一歩そしてまた一歩と、四囲を『隣人』

たらしめる人間連帯の間断なき構築作業 ― ここに平和の王道があり、

この地道な積み重ねなくして、恒久平和の地平など望みうべくもありません。

そうした感受性、生活感覚の共有こそ、『内在的普遍』ということの内実なのであり

ます。マルセルいうところの『抽象化の精神』に毒されることない具体性の世界の

実相なのであります。そして、そのような精神性、ヒューマニティーの潤しゆくところ、

『抽象化』の病理は駆逐され、『イデオロギー』によって『人間』が、『目的』によって

『手段』が、さらには『未来』によって『現在』が...約していえば『抽象的存在』によって

『具体的世界』が犠牲にされ、生贄にされるような人間不在の転倒は、決して起こら

ないにちがいない。そこに立ち現われてくるのは、『貨幣』のような抽象的かつ

称的な存在が、わが物顔に振る舞う社会ではなく、『生命』や『人間』といった仮想的

ではない真実のリアリティーにスポットが当てられる、ヒューマニティー溢れる時代で

あり世紀であると、私は確信してやみません」

 

 

 

 


幸福感は伝播する

2009年01月24日 | レボリューション

ある冊子に掲載されていた。

「ハーバード大学医学部(クリスタキ教授ら)の研究が発表された。

『幸福感は伝播する』という洞察。二十年にわたる約五千人への調査・分析の成果。

一人が幸福を感じると、その幸福感は友人から友人へと、さざ波の如く広がる。

たとえば幸せな隣人がいると、幸福感を感ずる可能性は34%も増加する。

幸福な空間は社会的なネットワークによって広がることが科学的に裏付けられた」

以前、他のブログ記事で「馬鹿は伝染する」という、言葉があまり良くなかったが、

それに対してコメントをしたことがあった。「良いことも伝染する」との意で。

この冊子の記事を目にして、やっぱりそうだよなと確信した。

同じ伝染でもスピードが違うだけかなと。

やっぱり悪いことが伝播するスピードは桁が違うと感じる。

良いことは一人一人の心の中に、しっかり沁みて伝わっていくと思われる。

当然スピードは遅いが、その分じっくりと伝播する。

途中で諦めたりもする要素もあるために、その加速度がつかない場合もあろう。

百年に一度の経済危機と言われる状況だからこそ、この地球規模・世界規模での

希望を見出せるような発信を誰かが・どこかが・小さい自分がしてほしいと願う。