なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

ラスト・ボーナス

2005-06-30 16:23:44 | 昭和
本日は公務員のボーナス支給日だったらしい。財政困窮の中、昨年よりも支給額が多いと報じられていた。「何かおかしいなこの国のする事は」。まあそんな事はどうでもいい。僕が最後にボーナスをもらったのはK無線在職中の昭和52年の12月だった。その後会社の経営状態が悪化しボーナスは支給されなかった。僕にとってその時のボーナスがラスト・ボーナスだった。今から28年前の事である。K無線が最盛期の時のボーナスは65万あった、手取り額である、若干27歳の若者が受け取るには大きな額だった。しかし、オーディオブームの衰退とともに給与もダウンし、ボーナスもカットされた。いい時と言うのは長くは続かないものだ。その後2つ程の会社に再就職したものの、いずれも一年ほどで辞めてしまった。その後の僕は自分の足と頭と汗を流して自営業の道を選び今日に至っている、今年で自営業歴23年になる。当然ボーナスとか別世界の身分である。僕の同級生も殆どがリストラや会社の倒産とかでまともに給料を貰っている人はあまりない。当然ボーナスなどない。年齢が年齢だけに会社を選んではおれないのだ。対照的に、僕の高校時代の同級生は今市内の某小学校で校長をしている、そして、彼の奥さんも市内近郊の小学校で校長をしている。推定だが二人の年収は2千万円位である。するとこのボーナス時に入るボーナスは二人で300~400万円くらいだろうか。住宅ローンなどとっくの昔に返済が終わり、息子も福岡市の県立高校で教鞭をとっているし、まさに順風万帆な人生を送っている。そして、退職後には元校長の肩書きで好条件の再就職先も保証されている。3年前に彼と街で偶然会ったので居酒屋で一杯飲む機会があった。「俺の夢はの、退職したら女房と豪華客船で世界一周の旅をする事よ」と校長。「しかし、お金がだいぶかかろうもん」僕。「いやー、中クラスで一人500万もあれば十分よ」と校長。「二人で1千万!・・・・・?」僕は絶句。それ以来僕は彼とは連絡を取っていない。「豪華客船で世界一周!何ぬかすか、海賊に気をつけろよ!」

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