現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「海童道」宗祖のインタビュー記事

2022-04-24 02:25:03 | 筝尺八演奏家

1981年、ニューヨークで収録された「海童道」宗祖の
インタビュー記事が、Face-book にロシア語で掲載されて
いました。「goo翻訳」で翻訳してみましたが支離滅裂。
原文はものすごく長文ですが、言わんとしているところを
汲み取って、なんとかまとめてみました。でもチンプン
カンプンです。 

出典: http://www.komuso.com/people/people.pl?person=1222

 
彼の練習は午前3時30分に始まった。道祖老師は 年齢71歳。
彼は禅寺で 32年以上、伝統的な禅の修行を学び終了した。
「海童Watazumi」は、日本古来の言葉から来ている。
「Watazumiは「あなたの生命力を取ること(?)と、
健康で強くなるために訓練することを意味します。

呼気について。 呼気を締める代わりに、インスピレーションを
心配することです。

 次に「tsukami」- それは「手足の指」を指します。
指の移動度は非常に重要である。それだけではありません。
腰と足の指の動きに追従する必要があります。

ストレッチする(伸ばす )- 体の筋肉を動かすことは
非常に重要です。尺八を演奏する時、すべての小筋肉。
それは指の動きだけでなく 全身の動きが重要です。

リズム - 全身の動きとこの動きは、人それぞれに異なります。
心拍数は、平均的な人は、毎分約70拍である。体をはげしく
動かせば、心拍数は上がります。体の動きと心拍数の動きの
バランスをとる必要があります。

あなたは尺八を演奏する時、おそらく楽譜を読んでいるが、
それはよいことではありません。楽譜に依存し、書かれた音楽の
単純な再生をしないでください。


「呼吸の4種類」
最初に「強風」、「ラフ呼吸」それから「ソフト」と「弱い息」。
通常の呼吸は無意識であり、通常の肺の動きは強さと健康を
もたらすことはありません。

無意識から「意識的な呼吸」に移動する必要があります。
71歳の私は、呼吸を開発するための試みを50年以上行って
きました。

最初は「荒い息」
あなたの生命力の動き、楽器から出てくる動きは あなたの
個人的なパルスです。

「濃縮息」
濃縮息を始める前に、可能な限りあなたの体を動かす。
ボディを動かす多くの方法がありますが、すべての良い
わけではありません。

体の筋肉を動かし、次に吹く。これは祈りや宗教ではなく、
呼吸のバランスをとるためである。

深い呼吸を理解し、それを実践するためには、自然の竹を
使用しなければなりません。動物がたくさんいるような
竹林の中で遊ぶものです。

通常、私は長い尺八を使います。多くの呼吸を費やすが、
唯一のかすかな音を作ります。わずかな匂いの強い
サウンドを得て、このような大きな尺八で演奏し、
サウンドの品質を心配だけでなく、それが良いか悪い
鳴らすかどうかという事実について、必要がないように
近代的なツールが作られています。

その後、あなたは自由に音を変更することができます。
あなた自身の個人的な自由を持っている場合である。

それはあなたの人生と活力です。あなたの音で、
強さやあなたの仕事?を 投資する必要があるが、
そのすべてを投資する必要はありません。

いくつかの音楽や音を聞くと、彼女はあなたを愛している
ときは、サウンドがあなたのパルスとのバランスと
調和していることである。

音楽を作るため、宇宙の音の豊かさを反映した多くの音を
使用しようと、あなたが最終的な結果で取得するものです。

それは「あなた自身の音、自分の音」です!

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こうした理屈っぽい話が、ロシア人はお好きのようです。

 

海童道祖 Photos (9 of 12) | Last.fm


海童道祖はペテン師!????

2022-04-24 02:22:08 | 筝尺八演奏家

「邦楽ジャーナル」2017年12月号にクリストファー遥盟氏が寄稿。

「巨匠、その人と音楽」と題するシリーズの4「海童道祖」。

なんと、尺八家の多くが神とも仰ぎ、心酔する海童道祖のエピソード。

1992年アメリカの尺八収集家ダン・メイヤーズ氏から

「海童道祖に会わせて欲しい、そして通訳を」との依頼を受けた。

メイヤーズ氏は大金持ち、大金をはたいて海童から手書きの楽譜を

購入し、それを高く転売して儲ける魂胆。

海童は、まず「俺のことを老師と呼んでくれ」と。そして

「日本の尺八界で 本物は俺だけ。他は皆インチキ」とも。

海童は できるだけ楽譜を高く売りつけようとする。

商談が済んで、メイヤーズ氏が食事に誘うと、海童はしばらく

考えて、断ったあげく、めし代の 5,000を 要求した。

これにはクリスは、驚きあきれた。海童に抱いてきた崇高な

イメージとは真逆。うんざりして、帰り際に「あなたは、

自分のことしか考えないペテン師だ!」と言ってしまった。

海童は しばらく黙っていて、怒鳴り出すか、棒で叩かれるか

と思ったが、老師の顔に泉が湧き出るような笑いがジワジワと現れて、

「本当のことを言ったな。君は悟った。エライッ!」と。

「僕は思った、この人スゴイ」とクリスは結んでいる。

 

この話。なかなか面白い。私も海童道祖はペテン師だと思っている。

前衛哲理だの、ちんぷんかんぷんな訳のわからない言葉を並べ

立てて、多くの人をケムに巻き、ひとり悦に入っている。

しかし、そこが海童のスゴイところ。

まさに「普化」の再来じゃ。

海童道 WATAZUMIDŌ」20世紀が生んだ偉大な哲人、海童道祖老師。その深みを探究する復刻盤!2018年7月18日発売|otonano by  Sony Music Direct (Japan) Inc.


「海童道」の門人から聞いた話

2022-04-24 02:16:42 | 虚無僧日記

昭和40年前半の尺八ブームの、もう一人の火付け役が                                       「海童道宗祖」という謎の人物。絶対に人の前に姿を現さない。

レコードが出され、NHK/FMで放送された。今までの琴古や                                      都山とは全く異次元の尺八。「尺八に非ず法竹(ほっちく)」と。

謎の怪物「海童道祖」について「上野霄里(しょうり)先生の                                   

『賢人の庵』」というブログに掲載されていた文を転載させて                                    いただきます。(一部抜粋)


【海童道(わたづみどう)】

今から二十数年前のこと、静岡の読者から「尺八に生きている
仙人のようなひとりの人物」のテープが私の所に送られてきた。

この尺八の吹き手「海童道」に それから暫くの間 私はさして
気も留めないでいた。六十歳の年が過ぎてからである、私は
尺八を習いだした。その為、月に数回、片道二時間余をかけて
盛岡まで通った。しかし何年かを過ごしているうちに、私は
尺八通いを辞めた。

「尺八を定具」と呼んだ「海童道宗祖」に出会ったのである。
いや、宗祖には 生前中一度も会ってはいない。私の読者である
静岡の友を介して今の私は、平成四年に亡くなっている宗祖の
弟子になった。

彼から、宗祖が生前中に 伝えられていたという言葉の数々が、
時に応じて 私の所に伝えられた。

しかも私を喜ばせたことは、この友が、かつて海童道宗祖から
戴いたという、二尺余のものを持ってきてくれたことである。
私は 今も尚 その定具を持っている。この竹には全くその内側に
漆は塗られていなかった。この定具は宗祖自ら手作りしたものだと
聞いている。

宗祖はどんな人物よりも孤高の存在であったという。宗祖は
暫く身を置いていた「普化尺八」の学校長の立場から身を退き、
「琴古流」や「都山流」といった尺八会からも決別して、
全く自分になりきった。

ある尺八の名手は「海童先生は普化禅師の再来と思えてならない」と
言っている。宗祖は この世のあらゆる文化的行為に妥協することなく、
自分自身を貫いて生きたようだ。

文明の世の中で当り前に過ごす人々には、宗祖はあらゆる点で
奇行の塊のように見えた。宗祖の弟子となっていた多くの尺八吹きは、
「近寄り過ぎたら喰われそうで恐ろしかった」とも言っている。

宗祖は常に「一生が修行である」と言い、他の尺八吹きや国宝と言われた
人々と違って、毎日が修行の連続であったようだ。この事を言ったものか
「破格であれ」と言うのも口癖のようだった。

その一面、とてもお洒落で、生き方の態度にも何処か芝居がかった
ところがあった。

又「何々組みの親分」とも仲良くなり、それを自慢して話すところも
見られた。宗祖が定具(特に十七歳で亡くした長男が造った定具)を
口にすると、えも言われぬ妙音が、其処に居る全ての人を包み込んだ
ようである。虚空の名音とは此れなのかもしれない。

海童道宗祖がごく僅かだが書いている哲学的な言葉の中に、「実践哲理」と
言うのがある。普通の人には殆ど理解されず、文明を離れた清らかな
人物にだけ分る言葉が其処に含まれている。

人間の有形無形に働きかけてくる自然の力と言うか、道徳の彼岸に
存在する倫理に近いものを、宗祖は「作用」と呼んでいる。
この「作用」には様々な形式があるが、それを「吐く」、「掴む」、
「伸ばす」と言う三つの言葉に収斂している。

宗祖は又、「響流(ごうる)」と言う言葉を多く使っている。此れは
元々「無音」のことであり、其処から「有音」に変わり、更に
その「有音」から「無音」に変わるとき、其処に「響流」が生まれる。
しかし「響流」の中に時々現れる有音があるが、宗祖はそれを
雑音の類いに扱った。その雑音を、宗祖は「無装飾無調音」と呼び、
「猫の跳躍や赤子の泣き声、落葉、車のきしむ音などをそういう音だ」と
して説明している。

有音から無音に向かう時間の中で「余音」というものがあるとも言う。
無音に入る手前でどんな有音も一瞬余音を残すのである。私達は
この「余音」を理解するにはどうしても深い人間的な魂のゆとりが
必要なのである。

こういう魂の動きを、宗祖は「独境」と呼んでいる。恐らく現代人の
我々にも文明の彼方の自然を理解するには、この精神境地が必要なのでは
あるまいか。

宗祖は音楽としての尺八を捨てている。つまり「余音」を否定している
のである。人前で吹定すること自体 否定的である。合奏も馬鹿なことだと
考えていた。私はこんな宗祖の言葉を静岡の友人を通して、とうに
この世を去った宗祖から毎週聴いているのである。私の生き方の中には、
海童道宗祖が今なお生き生きと生きているのである。私の生き方の全域で、
彼は生き生きと何かを教え続けているのである。

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フランス人のジョーク 

2022-04-24 02:15:30 | 虚無僧日記

フランス人のジョーク
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キリストとお釈迦様が人間に変装して、日本人の経営する
レストランに はいった。日本語の判らない お釈迦様が
メニューを 逆さまにして見ていると、ウエイトレスが
とんできて「シャカサマですネ」。

ウェイトレスのサービスが実にゆき届いていているので、
キリストが「どうして、そんなに親切にしてくれるんだい」と
聞くと、「はい、お客様は“神様”ですから」と。

店を出て、お釈迦様が言う「なんで、私が 釈迦だと
判ったんだろう?」。そしてキリストも、「どうして
私が“神”と判ったんだろう?」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「日本アニメ」ブームで、日本語熱も盛んとか。
日本人を知り尽くした上での、フランス人らしい
ジョークなのだ。ロシアでも17歳の女の子が
セーラームーンのコスプレで、流暢な日本語を
話しかけてきた。「どこで日本語を覚えたのか?」と
聞くと、アニメを見て覚えたという。

今その子が来日してアニメの声優として活躍している。

ロシアもフランスも「武道」が盛んだ。柔道や
空手の人口は、日本よりはるかに多い。

台湾の尺八協会は会員が1000名以上いる。今や
日本人が一番「日本人」らしくない。

琴は今、高校生の筝曲部の活動を描いた「この音とまれ!」                                    という漫画が人気になっているらしい。

「虚無僧」をキャラクターにしたアニメが
できないかなぁ。


尺八を吹いた殿様、宇土藩主・細川月翁

2022-04-24 02:14:51 | 尺八・一節切

熊本といえば「加藤清正」だが、1632年(寛永9年)清正の子・
「忠広」の時改易となり、豊前小倉城主だった細川忠利が
肥後54万石の領主として熊本城に入った。以後230年に
渡って、熊本は「細川氏」の領国だった。

1646年、細川忠興の四男「立孝」に、熊本市の南西に
突き出た宇土(うと)半島の地が与えられ「宇土藩3万石」が
できる。肥後細川家の分家(支藩)だ。

その「宇土藩」の6代目藩主「細川興文(おきのり)公」は
尺八が大好きでござった。「興文」は享保8年(1723)の生まれ。
延享2年(1745)、22歳で「宇土藩主」となり江戸に住む。
明和9年(1772)、48歳で隠居し宇土に帰り「月翁」と号す。
そして天明5年(1785)、62歳で没するまで、書画、篆刻、
俳句、茶道、などなどの趣味に生き、文化人として領民の
親しみと尊敬を集めていた。

その趣味の一つが「尺八」。藩主在任時から尺八を吹いて
いたと思えるが、表向きは公言できない。そして隠居してから、
堰を切ったように、二代黒沢琴古に師事し、国へ帰るまでの
わずか7カ月で、「琴古流本曲」18曲を習得し、尺八の
製管法までマスターした。そして「尺八譜」や「覚え書き」、
奏法や製管法について、琴古に送った質問状と琴古からの
「回答書」など貴重な史料を多く残した。

自ら製管した尺八の他、「琴古」や「古鏡」作の尺八3管が
伝来している。その他、30本余りの尺八についての詳細な
記録もある。

この「細川月翁公遺品」によって、江戸中期の虚無僧全盛期の
尺八が解明されるのである。内容は虚無僧研究会の小菅大徹師
によって『一音成仏』第20~25号に詳述されている。

「細川月翁公」は虚無僧本寺「一月寺」から「虚無僧本則
(免許状)」を得ているが、虚無僧尺八というよりは、
音楽として楽しんだようだ。1尺3寸管と2尺5寸管との
合奏なども行っている。このことは、狂言の『楽阿弥』で
長短2管の吹き合わせが、事実として行われていたことの
証明となる。

「月翁」は、尺八曲の作曲までしている。琴古流の
「鳳将雛(ほうしょうびな)」という曲は「細川月翁」の
作曲ではないかと云われている。殿様らしい、派手で雅
(みやび)な曲である。

尺八は、上は「宇土の殿様」から、下は“牢人者”、無頼の
輩まで幅広い層に愛されたのだ。


尺八を吹いた殿様 板倉重昌

2022-04-24 02:14:33 | 尺八・一節切

愛知県額田郡幸田町は、江戸時代は「深溝藩」と言った。

「深溝藩」 1万5000石の領主「板倉重昌」は、寛永15年(1637年)
島原の乱鎮圧の総大将として出陣したが、戦果を挙げられず。
江戸から新たに松平信綱が増援として送られたことを知ると、
功をあせって自ら突撃し、討死にしてしまった。

その「板倉内膳正重昌」は尺八の名手だった。
尾張徳川家の古事を綴った「昔咄」の中に、記述がある。

「寛永の頃、公家様(将軍家光)へ御三家普大名衆より
小姓踊りをしくみてあげられしことあり。 これを御国では
殿様踊りと言い表しぬ。 この唄は三味線なく、小鼓太鼓
ばかりの囃子なり。(中略)
江戸お屋敷にて毎日7ッ頃より稽古ありし。 板倉内膳正
(重昌)殿 御心安く出入られ、尺八上手なりしが、 右稽古の
時を見計らって参られ、尺八吹きて合わされしが いと面白かりし。
まもなく原城にて討ち死にあり」。 


江戸時代の初期1630年代に、大名も尺八を吹いていたことを
知る貴重な史料だ。それも、虚無僧尺八ではなく、中世の田楽などの
歌謡に伴奏として尺八を吹いていたことがわかる。

その尺八は、おそらく節が三つの「三節切(みよぎり)」
だったろう。



落語「一目上がり」。三四五の次は

2022-04-24 02:14:03 | 虚無僧日記

古典落語に『一目上がり』というのがあるそうな。

長屋に住む八っつあん。隠居さん宅で、床の間の掛軸に目をやった。
『雪折笹』の図に「しなわるるだけはこたえよ 雪の笹」と書かれてある。

隠居いわく「これは画に添えた賛(サン)というもの。雪の重みに 
しなって耐えている笹竹も雪が融ければ元の通りに立ち直るように、
人間も苦難に遭遇したときこそ辛抱が大切であるという教訓じゃ」と。

次に 八っつあん。大家さんのところへ行く。
大家の家の床の間には、「近江(きんこう)の鷺は見がたし、遠樹
(えんじゅ)の鴉(からす)は見やすし」の字が書かれてあった。

「雪の中にいるサギは、近くであっても見つけにくいものだが、
遠くにいるカラスは小さくともすぐに目につく。善行はなかなか
認められないものだが、悪事は目立つものだ、だから悪事はできない
という意味である」と、大家は言う。

そこで八っつあん、「結構な賛(サン)でございますな」というと、
大家さん「いや、これは根岸の蓮斉先生の 詩(シ)だ」。

八っつぁん「今度は『シ』と言おう」と思って医者のところへいく。
医者の家の床の間には、

「仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売る。
汝五尺の身体を売りて、一切衆生の煩悩を済度す。柳は緑、
花は紅の色いろ香。池の面に月は夜な夜な通へども 水も
濁さず影も止めず」と書かれていた。

八っつあん、字など読めないが「結構な詩(シ)でございますな」と
ほめると、医者は「いや、これは一休禅師の悟(ゴ)だ」と。

「サン、シ、ゴと来たから、今度は六か」と、八っつあんは
友人宅へいく。

友人宅には、にぎやかな七人の絵に「なかきよの とおのねふりの
みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」という回文
(=逆から読んでも同じ文)が添えられていた。

八っつあんは、感心しながら「へえぇ、結構なロクですなぁ!」、
友人「いいや、七福神だ」[4]。

またまた失敗。「七の次は八か?」と、ぶつぶつ言いながら
古道具屋さんの前を通ると、額に「古池や 蛙とびこむ 水の音」。
それを見て八っつあん「結構なハチで」。「芭蕉の句(九)だ」。

この話、七番目が「質(七)流れ品だ」で落とす、とも。

ところで、「八っつあん」の名前は?「八五郎(8560)」
でしたか?「七」がない。

ついでに「質屋」のことを「一六銀行」。他に[十一」というのは
ご存知でしたか。「七」の文字は分解すると「十」と「一」。
私は「十一(といち)」は「10日で1割の利息」の意味と
思ってました。


野口雨情 『七つの子』『しゃぼん玉』

2022-04-23 19:29:48 | 心の問題

デイサービスや老人ホームでの尺八演奏曲では、一時期大ヒットした『千の風』や『冬のソナタ』、ジブリの曲など、全く演奏しなくなった。

せいぜい、『川の流れのように』など「美空ひばり」の曲か、『いい日旅立ち』(山口百恵)、『津軽海峡冬景色』(石川さゆり)などは、今でも うける。


それに比べて、童謡、唱歌は根強い。歌詞カードが無くともみな自然と口ずさめる。


『七つの子』は 野口雨情、大正10年(1921年)の作。

「七つの子」」とは、「七羽のカラス」なのか、「七才のカラスの

ことか」。どちらも変。野口雨情の子供が七歳まで無事に育ったという「七五三」を祝う歌ではなかったかと言われています。


『しゃぼん玉』はどうでしょう。

 しゃぼん玉 飛んだ
 屋根まで 飛んだ
 屋根ま で飛んで 
 こわれて消えた

 しゃぼん玉消えた
 飛ばずに 消えた
 生まれて すぐに 
 こわれて 消えた

 
この「しゃぼん玉」は、2才で亡くなった雨情の娘、恒子のことを歌っていると言われています。

ですが、雨情の娘が亡くなったのは、大正13年(1924年)。

詩が発表されたのは、大正11年(1922年)でした。

ですから、「野口雨情」は、日常の生活の中から “詩”が浮かんだというのではなく、暗く閉塞感漂う世相を鋭く切り、そこから抜け出そうという なみなみならぬ気概を込めての、渾身の作詩ではなかったか。

柔(やわ)なイメージとは裏腹に、100年歌い継がれるだけの、それ相当のエネルギーが注がれていると思うのです。


誰のせいでもない、みんな自分が

2022-04-23 19:29:19 | 心の問題

「誰のせいでもありゃしない、みんなオイラが悪いのさ」

尾藤イサオのこの歌が私は好きである。

皆がそう思えるようになれば、世の中争い事はなくなる。

今朝、こんな夢を見た。

車のエンジンをかけてから、忘れ物に気が付いて、キィを付けっぱなしにして、忘れ物を取りに行き、戻ったら、車が無い。誰かに乗っ取られた。

あわてて110番した。

「車を盗まれたんです。至急捕まえてください!」

「なんで、盗まれたのか?」

「キイを付けっぱなしにして、ちょっと部屋にもどったら・・・」

「なに!?、そりゃ お前が悪い。そんなのにいちいち出動できるかッ!」と

警察に叱られて、シュン。

 

今でこそ “あおり運転” は 罪になるが、かなり昔のこと。

あおられ、車を止められ、相手が降りて近づいてきた。

携帯で110番したら、

「それで? あんたは怪我でもしとるのかね」

「いえ、まだです」

「なに!? あおられるような運転をした お前が悪い。

喧嘩の仲裁などにいちいち出動できるか!」

と一喝された。

 

30年ほど前、アメリカでは、レイプされても、犯人はたいてい無罪放免になるとか。「ミニスカートなどはいて、セクシーに男を挑発した女が悪い」というのだ。その頃、ニューヨークに遊びに行った。

アメリカでは スカートをはいている女性は一人もいなかった。みなジーパン。色気などない。がっかり失望したものだった。

 

事故に遭うのも、殺されるのも、いじめられるのも、みな自分が悪い。

殺されないよう。事故に遭わないよう、いじめられないよう、努力することは

できるはず。私はそう思う。

https://youtu.be/MEZJkz3awas

 

悲しき願い 尾藤イサオ 1996

黄金のポップス大全集より

YouTube

 

 


有効期限と賞味期限の切れた夫婦にならぬよう

2022-04-23 19:28:05 | 心の問題

今日の名言

「恋」と云う字は、が下にある「下心」がある。

「愛」「慶」は真ん中に隠れている。奥ゆかしい。

数ある異性を見て、心ときめく人と ときめかない人と分れる。それが恋のホルモンの成せるわざ。

恋愛結婚は長続きしないといわれる。

恋のホルモンは3年しか続かない」からだそうだ3年で消費期限切れ

」は育むもの。お見合い結婚でも、二人で愛を育んで長年連れ添っている夫婦も多い。

マネージャーの鈴花は、私の時間とお金の管理人。もう17年の付き合いで、夫婦以上に親密な関係にある。長続きの秘訣は「夫婦でないから」。そう他人様としてお互いを尊重しているから。

そして常に新しい物に挑戦し、二人で目標があることが、長続きの要因か。

夫婦だとなぜこううまくいかないのだろう。

二人で共通の目標がないと夫婦関係は切れる。
とかく夫婦だと甘えが出て、わがままになる。

夫婦でも他人行儀。親しき仲にも礼儀あり。お互い神様扱いすることが長続き

の秘訣