現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ロシアと日本、生活習慣の違い

2014-02-10 21:07:10 | 虚無僧日記
「ロシアは寒かったでしょう?」と まず 聞かれる。
「全然。熱いくらいだった」と答える私。そうなのです。

全館暖房なので、室内は裸でもOK。風呂場も30℃以上
あるので、チョロチョロのシャワーでも風邪ひかない。
髪もドライヤー無しですぐ乾く。室内が熱いから、
十分温まったからだに 防寒服を着て外に出れば、
そんなに寒さは感じない。

日本の方が寒い。24時間暖房をつけっ放しにはしないから、
朝 目覚めて、布団から出る時は寒い。暖房をつけても、
体が温まらないうちに外に出るから寒さをひとしお感じる。
外から家に帰った時、これまた寒い。居間の暖房はつけても、
トイレや風呂場は寒い。

というわけで、ロシアの方が冬は快適。

ソチ・オリンピックで明らかになったロシアのトイレ事情。
仕切りの無いツイン・トイレが話題になってます。
日本でも、男性の公衆トイレは、小用は仕切りは無いですな。
“関東の連れション”でござる。ロシアのツイン・トイレも、
男性が二人並んで小をたす時のためではなかろか。

室内の片隅に便器があって、全く囲ってもいない部屋や、
玄関に、便器が置いてあるマンションの写真も紹介されて
いましたな。おなかをおさえて、家に飛び込むなんて
時にはいいでしょう。

ついでに、トイレット・ペーパーが全く吸水性が無いのも
話題になっていますね。これは「紙質が悪い」のではなく、
水分を吸わない方が、手に汚物が付かず清潔という考え
からでしょう。

日本のトイレットペーパーは吸水性が良すぎて、何枚にも
折りたたんで使う。それは資源の無駄使い。それでも、
浸みた汚物が手に、なんてことも。これではタイやインドと
同じ。手は不浄です。

「ロシア人はトイレから出ても手を洗わない」というのも
話題になってますが、紙に吸水性が無いので、手が汚れない
のだから洗う必要は無いというのでしょう。感覚の違いです。


さて、その後がビックリ。吸水性が悪い油紙のような紙だから、
浮いてきてしまって、水洗では流れないのです。私も最初は、
困って、側にあったバケツに水を汲んできて、流したりして
いましたが、はたと気が付きました。横に置いてあるバケツは、
水を汲むためではなく・・・。そう、おしりを拭いた紙を入れるため
のものでした。毎日、それを引き取りにメイドさんが来るのです。

いやん、ばかんです。ソっチに行っているアスリートのみなさん、
くれぐれも、紙を流さないように。

「川端康成」にも代作疑惑?

2014-02-08 21:28:14 | 虚無僧日記
毎日新聞2/7のコラム欄「余禄」
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菊池寛には、他人が代作した小説も多いといわれる。
『不壊の白珠』は川端康成が書いたものという。
その川端にも、他人が代作したらしい作品が少なくない。

『乙女の港』は、当時川端に師事していた「中里恒子」の
草稿に 川端が加筆、手直しをして出版されたもの。
「中里恒子が川端康成の代作をしていた」というのではなく、
若くて芽の出ない作家に原稿料を渡して(生活を)援助
するという意味合いもあった。

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なるほど、このような 有名作家の「名義貸し」は
「代作疑惑」とは ちょっと違うかな。

ちなみに、松本清張にも、「清張工房」と呼ばれる代作
スタッフを抱えているという噂があったが、こちらは、
出版社の編集担当者が否定しており、清張自身もまじめに
反論している。


さて、今回の「佐村河内」の“代作疑惑”はどうとらえたら
いいのだろう。作品自体は、私も すばらしいと思う。
だが、いかに作品が良くとも「新垣隆」氏の名前では、
売れない社会の事情があった。「広島被爆二世、全聾、
手に包帯、サングラスに長髪という麻原教祖のような風貌」。
「佐村河内」という風変わりな姓。そうしたインパクトの
ある品書きが無ければ売れない世の中ということを 明らかに
してくれたのではないか。

「虚無僧」だって、もともと世をしのぶ“偽装・偽僧”。
“ただの虚無僧”では マスコミには載らない。
「慶応卒、保険会社勤務」の前歴。そこから一転「失職、
離婚、帰る家無し、借金地獄、そこからの再起」という
ドラマがあるから、マスコミ各社が取材に来、NHK
までも30分特集で放映してくれた。でも「新垣」氏の
描いたストーリーにくらべれは、私は小さい小さい。

『東日流外三郡誌』の「和田喜八郎」のように、そして
「佐村河内」のように、でっかいストーリーを創らねば」と
思う私って“変”ですか?、いけませんか?


犯罪多(王)国 ニッポン?

2014-02-06 20:14:08 | 虚無僧日記
昨年度のオレオレ詐欺、振り込め詐欺など「特殊詐欺」の被害額が、
前年より3割以上多い486億9千万円。過去最悪だった。

金融機関窓口での振り込み被害防止策が強化されたため、直接 現金を
手渡しさせる手口が43%と、振り込み型40%を上回った。

被害届の件数は、未遂も含めて1万2千件。これほど騒がれているのに、
疑わずにひっかかる人が1万人もいることに驚く。そして、何百万、
何千万という金をポンと出せる人がいることにも驚く。

そして、486億もの金の行き先は? どこに使われているのだろう。

「会社の金をなくしてしまった」「女性を妊娠させてしまった」などと
いう嘘に 親が 気も動転して、いともカンタンに金を出す。外国では
考えられないことだそうな。

中国産毒入りギョーザ事件の時「日本では考えられない」と、
皆が思った。ところがどっこい、冷凍食品に農薬が入れられた。

「中国の食品が危ない、日本産なら大丈夫」。ところがどっこい、
豚の糞尿がそのまま川から海へ垂れ流し。

食品偽装、振り込め詐欺そして代理人による作曲、偽名、偽計。
刀剣や陶器、書画骨董でも 贋作は昔から日本の伝統芸。

オリンピックの誘致で、安倍総理が「福島原発の放射能汚染は
収束した」とか、滝川クリステルの、「日本は犯罪の無い国、
財布を落としても必ず戻ってくる」なんて話も、結局は大嘘。
国家あげての欺瞞、詐称。これでは、中国と変わらぬ。
なげかわしきこと。(おっと、虚無僧も“偽僧”でした)


大須演芸場の復活なるか

2014-02-05 22:57:16 | 虚無僧日記
「大須観音」と信長ゆかりの「万松寺」との間に広がる
「大須商店街」。私が名古屋に来た20年前は、お年寄り
しか行かず、シャッター通りになりかけたていたが、
「コメ兵」や「アメ横」が出店して、奇跡の復活を遂げた。
今は若者の町に変身。人は増えたが、虚無僧も立ち場所が
なくなった。

逆風は虚無僧だけではない、大須観音の東隣りにある
「大須演芸場」も、ついに閉鎖の憂き目となった。 

大須演芸場は1962年に建てられ、多くの落語家、
漫才師、演芸家が舞台に立ったが、半世紀、何度も閉鎖の
危機に見舞われながら、なんとかしのいできた。

木造2階建てで、座席数は約250席。古今亭志ん朝、
ビートたけし、明石家さんまも出演したことがある。
楽屋の化粧台の裏側には、1975年に「明石家さんま」が
出演した時の落書きが。「今日も客なし 明日は?」と
書かれている。

この世界で「つ離れ」というのだそうだ。「一つ、二つ、
三つ」と「九つ」までは「つ」が付くが、「10」には
「つ」がつかない。お客が10人はいると「つ離れ」。
これでは出演者にギャラも払えない。

こうして半世紀、いよいよ閉鎖と決まると、連日満席、
立ち見の客も出るほどだったとか。
昨年、「御園座」が閉鎖になった時も、連日大入り
満員だった。

東京上野人形町の「末広亭」は1970に閉鎖となった。
私も「末広亭」に前座で出演したことがあった。その時も、
お客さんは10名ほど。私が呼ばれたのは、客を連れてきて
欲しいためだったのだと後で解った。

劇場はどこも経営難。「経営努力が足りない」と言うが・・・。
「カレーのCoCo一番」の創業者「宗次」氏が創設した
「宗次ホール」は、毎日、昼夜2回、年500公演を
めざして、さまざまな企画、音楽家の発掘を行っているが、
それでも赤字という。吉本興業でさえ、劇場を閉鎖している。


さて、そこへ本日、美容整形外科「高須クリニック」の
「高須克弥」院長が、大須演芸場の救済に名乗り出た。

大須演芸場の賃料滞納金約1000万円と、一年分の
賃料240万円を肩代わりするという。高須氏は愛知県
西尾市の出身。

高須氏は、「志の高い席亭さんの奮闘努力の甲斐もなく、
力つきた大須演芸場。全ての病根が明らかになったぜ。
いまからカンフル注射して生き返らせるぜなう」と
ツイート。

さて、どのような再生術があるというのだろうか。
それこそ“見もの”。

佐村河内、偽作問題

2014-02-05 15:41:55 | テレビ・映画・芸能人
「言い訳できない」佐村河内さんの曲は別人作 出荷や配信停止…関係者に衝撃(産経新聞) - goo ニュース


「被爆2世、全聾の作曲家・佐村河内守(さむらごうち・まもる)」の
作品が、別の人物が作ったものだったとのこと。NHKでも朝の
ニュース、トップで報じた。昨年「NHKスペシャル」で紹介した
責任があるからだ。

私もそのNHKスペシャルを観て「佐村河内」のことを知った。
しかしなぜか「辻井伸行」の時ほどの感動はおぼえなかった。

NHKの映像では、作曲しているところがあまり映されなかった
からである。当人は奇病で、光に当たると全身が痙攣するとか、
暗がりの中でしか作曲しないという。なんか怪しかった。

“全聾”で作曲できる理由も、はっきりと明かされなかった。
作曲しても、その曲を聴くことができない。それなのに「なぜ
作曲したいのか」その理由もわからなかった。

なにか釈然としない番組だった。また「今世紀最大の交響曲」と
騒がれるほどの感動はなかった。何か計算された音だからだ。

それにしても、実際に作曲した人は誰なのか。なぜ表に出れない
のか。今になって、佐村河内とトラブル起こしたか、それを
バラすとは、情けない人だ。

松本清張にもゴーストライター疑惑はあったし、大学教授や
研究所でも、部下の研究を自分のものにする話は よくある。
バラすことが“正義”。それも怖い。





市川猿翁『私の履歴書』 2

2014-02-05 13:44:25 | テレビ・映画・芸能人
日系新聞 2/5 文化欄「私の履歴書」市川猿翁 ⑤ 

「市川猿翁(前代「猿之助」)」氏が慶応中等部時代の
話が書かれていました。
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中等部時代は慶応の10年で一番楽しかった。一年の担任は
「ワンマン」の加藤さん。この学校は「○○先生」と呼ばず、
「○○さん」で呼ぶ。2年3年の担任は「西村さん。私が
「長兵衛」とあだ名をつけた。
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そうなのです、慶応では「福沢諭吉先生」だけが「先生」で、
塾生はすべて先輩後輩の仲。大学教授でも公には「○○君、
○○さん」。それは「福沢諭吉先生」がオランダ語も英語も
独学で学んだことから、「他人から学ぶのは恥」という精神に
よるもの。だから慶応には「教える教師=先生」はいない
のです。

私も、一年の担任は「加藤一男」さん。「一男」だから
「ワンマン」。国語は「西村長兵衛」さんで、あだなは
「ちょーべー」。

歌舞伎観賞会の時、『お染め久松』で「猿之助(当時)」が
「綱町のちょうべえ、あれも丁稚」と、ことさらゆっくり
大きな声を張り上げた。あの時は、中等部の生徒だけが、
どっと笑い声をあげ、他のお客さんは「??」だった。

また『梶原平三、誉れの石切』では、事前に鑑賞の手引きが
あり、「六郎太夫が“斬り手も斬り手”とほめ、梶原が
“剣も剣”と賛える場面があり、その後で、間髪入れず、
客席から「役者も役者」と声が掛かる。まちがっても
「役者はだいこん」と言わないように」と教わっていた。

それで、その場面がくると一瞬 息詰まる間。客席から
「役者も役者」との声が挙がらなかったので、中等部生は
大爆笑。

あの鑑賞会で、歌舞伎とは「堅苦しい古典芸能ではなく、
観客とともに楽しむもの」と教わったのでした。

さて、「猿翁」は慶応高校のことも書いている。「私は
授業中止の交渉役で、しょっちゅう、授業を中止させた」と。
さらに、「大きな声ではいえないが」と悪ふざけの実態も
書いています。

そう、勉強は“自学自習”の精神ですから、授業は
しょっちゅう「○○さんお休み」でした。それでも
私のクラスからは、東大に進学したのが二人。
数人が医学部に進み、 医者になっています。
そうそう、オウムの「林郁男」も、妻の「芦田りら」も
そうでした。


そして役者は「猿翁」だけでなく、市川右近。
タレントでは 二谷友里恵、菊池麻衣子。宝塚の陵あきの。
テニスの松岡修造。ピアニストの中村紘子さん、
バイオリニストの千住真理子さんも中等部出身。

小学校では“神童”といわれた私は、慶応では“落ちこぼれ”。
でも、「世界でオンリーワン、ナンバー1の虚無僧でござる。
ま、ユニークな人材を多く出しているのも中等部の校風です。

明治の世に尺八とバイオリンのコラボ

2014-02-04 11:52:42 | 筝尺八演奏家
日経新聞 2/3 文化欄「日本美術に聴く」は
またまたビックリ。「彭城貞徳(さかきていとく)」という
明治の洋画家が描いた『和洋合奏之図』。

1906年(明治39)年頃の絵だそうだ。バイオリンと尺八で
合奏練習をしている光景が描かれている。長崎県美術館所蔵で、
ネットで検索すると、平成18年に長崎県美術館で「揺らぐ近代、
洋画と日本画のはざま」というタイトルで企画展を開いており、
その際、パンフレットの表紙に選ばれている。

そこでの取上げ方は「珍妙、困惑」。そうかもしれない。
当時の尺八家のレベルではバイオリンとの合奏は無理
だったと思う。尺八の音程が西洋の平均律12音と異なる
からでもある。

さて、日経新聞「古田亮」氏の解説。
「彭城貞徳」は当時の尺八界の第一人者「吉田一調」に
弟子入りし、後に「一調」の名を継ぐほどの腕前だった。
そしてフランス語も堪能で、海外生活も体験していたから、
バイオリンにも造詣が深かった。

また「静風」氏のホームページでは、
彭城貞徳は、明治12年吉田一調より尺八の奥免許を取得し、
「逸調」(後に「一調」)と号す。長崎の虚無僧寺「松寿軒」の
スケッチを残している。

そういえば、「辻 潤(つじ じゅん、1884年 - 1944年?)」も
尺八とバイオリンの看板を掲げていた。明治は想像以上に
和洋折衷が流行っていたようだ。


市川猿翁「私の履歴書」

2014-02-03 21:42:55 | テレビ・映画・芸能人
日経新聞 2/1 文化欄「私の履歴書」に
「二代目 市川猿翁」が登場。

「猿翁」は本名「喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)」。
1939年(昭和14年)生まれ。49年間にわたって「三代目
市川 猿之助」として活躍。

1968年(昭和43年)『義経千本桜』「四ノ切」で披露した
「宙乗り」を皮切りに、“ケレン”の演出を試み、注目を
集めたが、他の歌舞伎役者や評論家たちからは、相手に
されないほどの酷評を受けた。

二代目尾上松緑に至っては、猿之助歌舞伎のことを「喜熨斗
サーカス」とまで言い、揶揄している。木下大サーカスと
猿之助の本名の「喜熨斗」(きのし)にひっかけたもの。

さて、その「猿翁」。日経新聞で次のように書いている。

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23歳で「三代目猿之助」を襲名した直後、祖父・初代
市川猿翁(二代目市川猿之助)と 父・三代目市川段四郎が
相次いで亡くなった。肉親の後ろ盾を失うと、役がつかなくなり、
芸を教わることもままならない。しかし、屈してなるものか。
闘いは、私の生き方そのものとなった。

「宙乗り」や「早替わり」で観客をあっと言わせる私の演出は、
“ケレン”“邪道”とみなされたが、歌舞伎は本来そういうもの
だったのだ。

観客は驚き、興行は大当たり。が、先輩たちは容赦ない言葉を
浴びせた。「サーカスみたい」だとか「猿の犬かき」だとか。
しかし、逆境になればなるほど燃えるのが私の性分。

天を飛び、地にもぐり、生きかわり死にかわるケレンの輝きを
取り戻したい。“異端児”と評された私は、正統の“かぶき者”
だと思っている。

こんなふうに歌舞伎を客観的に見られるのは、普通の人と同じ
ように学校に行ったからだろう。歌舞伎役者で大学に進んだのは
私が初めてだった。

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拍手

「猿翁」は、慶応の先輩。慶応中等部では、特別授業で
「歌舞伎鑑賞会」があり、「猿之助」の芝居を観に行った。
その前に国語の授業で解説があり、また、幕間に「猿之助」
から後輩の私たちへの挨拶もあった。世話物では「綱町の
長兵衛、あれも(で)エッチ(丁稚)」というアドリブが
あり、多いに笑わせてくれた。「綱町」は中等部の所在地。
そして「長兵衛」は 国語の先生のアダ名だった。(慶応では
「○○先生」などとは呼ばない。先生もあだ名で呼んでいた)。

「猿翁」の弟の「四代目・段四郎」は、慶応の1年先輩。
慶応高校で、私が「歌舞伎研究会」を立ち上げた時、
お世話になった。

さて、私も反骨精神旺盛。「虚無僧尺八界の異端児だが、
私こそ“正統”の虚無僧」だと自負している。

葛飾応為 『三曲合奏図』

2014-02-03 20:32:38 | 筝尺八演奏家
日経新聞 1/31 文化欄「日本美術に聴く音楽」で、
東京藝術大学准教授「古田亮」氏が、ボストン美術館
所蔵「葛飾応為」の浮世絵『三曲合奏図』を紹介していた。

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「葛飾応為」は「葛飾北斎」の娘。「三曲」とは、地歌三味線、
筝、胡弓の三種の楽器による合奏のこと。その演奏の様を
描いたものだが、「見るからにただ事ではない」と評論。

三味線を弾く女性は、まるでロックのギタリストが高音を
響かせる時のキメのポーズ。背を向けて箏を弾く女性の
細い長い指のアクロバティックな動き。胡弓を弾く町娘の
思い切り首をひねらせるパフォーマンス。

三人の美人は、皆 まるで舞い踊っているかのような曲線的な
動きをみせ、それぞれが持つ楽器の幾何学的なムーブメントと
融けあっている。構図、色彩、描線、すべてがひとつになって
全体として音楽的な画面をつくっているのである。

ここから聞こえるのは、女性バンドによるロックであってもいい。
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と、すばらしい解説だ。
ネットで検索すると、何点か出てきた。「葛飾応為」は、父
北斎と性格も似、自由奔放、男勝りの任侠肌。現存する作品は
10点と少ないが、北斎の晩年の作品は「応為」が代筆して
いたのではないかとも言われる。

この「三曲合奏図」は秀逸。正に音楽が聞こえてくる絵。

さて、私が注目するのは、三絃、箏、胡弓を弾く姿。実に
自由奔放。現代では、「三味線の棹は45度」とか、「背筋は
伸ばして」など、姿勢も細かく注意される。こんなポーズで
演奏すれば、師匠から叱られる。

ところが、最近でてきた若い女性の邦楽バンド「結(Yui)」などは
まさに200年前のこの「三曲合奏図」そのもの。
私はこれでいいと思っている。


コロッケ著 『母さんの“あおいくま”』 から

2014-02-03 10:02:55 | テレビ・映画・芸能人
コロッケ著 『母さんの“あおいくま”』 には学ぶことが多い。

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「新人がどんどん出てくることに脅威を覚えませんか」という
質問をされることがあるけれど、とんでもない。力のある新人が
どんどん出てきてほしい。「ものまね」という芸が、すばらしい
エンターテイメントとして、きちんと次の世代へ残っていくことが
僕の夢だから、後輩から質問されれば何でも教えてあげる。
ネタばらしもどんどんする。上手になるコツも教える。


ところが、不思議なことに、僕がいろんなコツを教えても
それを素直に実践してくれる人はいなかった。僕の教え方が
悪いのか、ちょっと寂しく思っていた時に現れたのが「青木隆治」
だった。僕にいろんなことを質問してきては、できるまで
繰り返し練習する。「すみません、この前 教えてもらったことで、
わからないところがあるんですけれど・・・・」
次に会ったときに質問してくることも、深く練習している人しか
陥らない悩みのツボだったりする。


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ところが、その「青木隆治」。ネットで検索したら評判は
すこぶるよろしくない。最近、テレビから干されているそうな。

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「ツートン青木」の親譲りか、“奇跡のモノマネ”と称賛され、
二年前までは 頻繁にテレビに出ていたが、最近は全く見かけなく
なった。そこで、その理由を探るべく、青木に密着した番組が
企画されたのだが。番組名は1月10日放送の『中居正広の金曜日の
スマたちへ』。

青木が所属している芸能事務所は研ナオコの夫が代表を務める。
その縁で、研ナオコも彼のために一肌脱いで協力した。撮影は
課題曲を与えられた青木が、研ナオコの指導を受けて、何度も
何度も歌う練習をするシーン。研ナオコは、「彼の最大の欠点は、
心ではなく技術で歌っている」ところだという。「詩を大事にして」と
研ナオコから厳しい指導を受けた青木は、「もう限界かな」と
弱音を吐き、番組スタッフに「どんだけ(撮影)やりたいんですか?」
「どれくらい欲しいんですか?」と尋ねた。その言葉にスタッフも
研ナオコのキレタ。「本人に頑張りたいという思いが無いなら」と、
この企画はボツ。お蔵入りになってしまったという。

研ナオコは「周りのスタッフに対して、感謝の心がない」と。

青木隆治は、かつて「ものまね番組」に出演した時、他の仲間や
スタッフに挨拶もしなかった。そこで「ものまね界」の大御所
「コロッケ」から、「いくら歌が上手くても、挨拶やお礼も
言えないような人間は相手にされないよ」とアドバイスを
されていたという。

コロッケは「青木隆治」に、そのようなアドバイスをしたと
いうことは、彼の欠点を見抜いていたはずだが、2012年
発売の『母さんの“あおいくま”』で、彼をもちあげている。
すごいことだ。ああそれなのに「青木隆治」に明日はないな。
反面教師。私も心しよう。