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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

明暗寺で本曲大会

2007-11-05 10:27:53 | 虚無僧日記
10/4 昨日に続いて今日は、京都明暗寺での第105回
『尺八本曲全国献笛大会』。朝5時52分の大垣行に
飛び乗って、在来線を乗り継いで8時半京都着。奈
良行に乗り替えて、一駅目が東福寺。開始の9時に
ぎりぎり間に合った。

今回は参加60名と少なかったが、なんとアメリカから
10人の道士が来日、参加された。みな恰幅良く、堂々
としている。ひとりは頭もツルツルに剃って、禅坊主
そのもの。全員で吹奏する「虚鈴」も、ピタッと合っ
ている。その気構えは見事。今や相撲も柔道も尺八も
外国勢に押され気味だ。

午後には高島さんのお見舞いに行く約束があって、
一通り挨拶を済ませて、早々に退席する。
しばらく東福寺門前で虚無僧姿で尺八を吹き、デモン
ストレーション。やはり場所柄がそうさせるのか、観
光客が次々に浄財を入れてくださる。ありがたい、
これで、帰りは新幹線で急ぎ名古屋に帰れた。

帰宅して急ぎ豊明の藤田衛生病院へ高島さんのお見舞い
に行く。高島さんとは、6月に紀伊半島3日間の虚無僧
の旅をし、新宮での『全国大会』に参加した。この夏の
暑さで、体調の不調を訴えていたが、腎不全で透析を
しなければ命がないところだったとのこと。入院した直後、
意識が無くなり『一面きれいなお花畑を見た』と臨死体験
を語ってくれた。今週末は「第6回一路会」。「今回は
欠席だが、あと5回は出る」と元気な言葉に安心して帰宅
した。



建中寺での尺八ライブ

2007-11-05 09:36:59 | 虚無僧日記
11/3 今日は名古屋市東区の主催「歩こう文化のみち」の
企画で、建中寺で尺八独演会。東区は徳川園、徳川美術館、
主税町の町並み、貞奴の双葉館と、見るべき建物が多い。
建中寺は尾張徳川家の初代義直公の菩提寺。本堂は木造建築
では県内最大。

13時から40分だが、たまたまこの時間に建中寺に立ち寄った
方に聞いていただくのであるから、さて何人の人が立ち止ま
って聞いてくださるか、不安であった。声をかけておいた友が
三人(真田さん、森ん、丹羽さん)が来てくれた。ボランティア
で受付をしてくれている女子高校生4人も含めて、10人ばかり
でスタートしたが、始めると次第に人も増え、堂内は奥まで
一杯になった。

ライブはいつも、その場の雰囲気と聞き手の反応を見て、曲を
決めるが、お寺の本堂では、やはり尺八の本曲がふさわしい。
「手向け」「下がり葉」「虚鈴」「鶴の巣籠もり」など、みな
真剣にまじめに聞いていてくださる。つまらなければ、立ち去
ってもいい、出入り自由な会場で、40分、じっと聞いてくれて
いることに、こちらが、驚きと戸惑いを覚えた。

女子高校生は、金城学園とのこと。さすが名古屋の名門お嬢様
学校の生徒、40分、正座してじっと聞いていてくれた。「面白
かった」との感想。女子高校生にも尺八が新鮮にとらえられた
こともうれしい。



朝起き会

2007-11-05 07:11:53 | 心の問題
1週間ブログがストップ。

10月は、このブログとYahooオークションに
はまって、毎晩、明け方まで起きているので、
朝起会を1ヵ月近くもさぼってしまった。

ブログでは一日500人がアクセスしてくれて500番
以内に入ったこともあった。オークションでは尺八
や古書、楽譜等7点を落札した。結構労力がいる。
疲れ果てた。お金も尽きた。

真如苑の清掃奉仕の翌日、珍しく仕事の無い一日。
部屋の大掃除をやった。ゴミの山に埋もれて、汗だく
のところへ、朝起会の壮年が、来訪。いつもアポで
なしの突然の来訪で困る。

他人を責めてはいけない。まぁ、これもみな“自分が
悪い”と反省して、翌日から朝起会に行くこととした。
おかげで、ブログの方はストップしてしまい、アクセス
件数も100件以下になってしまった。残念。

真如苑の清掃奉仕

2007-11-01 07:36:05 | 心の問題
10/29 (月)真如苑中京本部の清掃奉仕に参加する。
“させていただく”のだ。平日なのに総勢500名が参加。
持ち場の分担が決められ、私は外のガラス拭き。トイレ
など、普段なら人の嫌がる所も、希望者を募ると、皆、
積極的に手を挙げる。

いつも、塵一つ落ちてない、トイレもピカピカの“清浄
なる精舎”に心洗われるのだが、それは、こういう
ご奉仕の人の陰の働きがあってのことと知る。

精舎の中では皆善男善女。使う雑巾、バケツそれぞれ場所
によって細かく定められ、常に“上から下へ”など手順も
厳しく決められていて、知らずにミスをする人も出るが、
それに対して、決して叱ったり責めたりはしない。
真如苑の教えは、あくまで“本人の自覚”なのだ。ミスが
あっても、優しく(本人が気を害さないように)教えるか、
本人が気づくように諭すのであって、ミスを咎めたり、
叱ったりはしない。

今教団を束ねるのは女性の継主。真言密教醍醐寺の法継を
継ぎ、醍醐寺1000年の歴史で、女性が法要の導主を務めた
のは前代未聞のこと。

今継主は、東南アジア諸国を歴訪しているが、ベトナム、
タイでの歓迎会で、政府高官が、「いろいろな仏教団体の
訪問を受けますが、教団のトップが随行の方々に気を使わ
れている、このような団体は初めて。我国もこういう教え
が必要です」とコメントされたとか。

なるほど、他の団体はどこも、トップにお付きの人が気を遣う。
真如苑は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の教えなのだ。