テーラワーダ仏教では、「来世があるかどうかは
わからんが、もしあったとして、来世でも苦しむ
くらいなら、僧侶に説法できるくらいの善行を積んで
死ね」と、より良く生きる“生き方”を説いている。
一休の母の手紙というのも、同様のことを言っている。
「教典を総て諳んじて、どこぞの寺の住持になったとか、
位や肩書きが上がったとしても、そんなものは糞虫と
同じ事。
釈迦も元は凡夫。経典も無いところから修行して、
人に道を説くまでになったではないか。お前(一休)も、
釈迦や達磨を奴(下僕)とするくらいの修行を積んで、
人々を感化いることができるようになれたら、既存の
寺などいらんではないか」というのだ。
一休は、この母の教えの通り、寺には入らず、草庵に
住んで、一生を一蓑一笠の托鉢僧で終えようとした。
最後81歳で、天皇の勅願により大徳寺の住持となって、
応仁の乱で焼けた大徳寺の再建を果たすのだが、新装
なった大徳寺に住むことはなかった。薪村の酬恩庵で
盲目の森女と仲睦まじく余生を過ごしたのである。
そして一休の名は、600年を経た今日、東南アジアまで
知れ渡るようになった。一休は未来永劫生き続けて
いるのである。虚無僧は、その一休に倣う生き方である。
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