『名古屋叢書』 第6巻 地理編 (1)
p.432 「金鱗九十九之塵 巻第22」
【呉服町】 七間町の東に在り
当町は 往昔 清洲越の町にこれあり。清洲において町名を「ごふく町」と唱ふ。
然るに慶長の年中、那古野の此の地へ引越し来たり、旧号を用ひ「呉服町」と申し候。
家数64軒。
東照宮祭礼の警固 普化僧12人 紫衣を着た大領2人
【常盤町】 呉服町の南に在り
当町は 往昔 清洲にありし時、町内に竹を商うもの多く住居しける故に
「竹屋町」と呼びにけるよし。清洲より名古屋の此の地へ引越し来たりても
かの旧号を用ひ、「竹屋町」と称しける。然るに、元禄の頃、市中度々
出火せしかば、「たけや」を逆に読むと「焼けた」となり、忌み嫌って、
竹は常盤なるによって「常盤町」と改めるべく願い出て、元禄14年より
「常盤町」となる。
家数58軒
東照宮祭礼の警固 頼朝 八幡詣10人出
元は呉服町立合いにて 普化僧の練り物なりしが、天和・貞享(1681~)の
年間に、今の警固に変わる。
然るに慶長の年中、那古野の此の地へ引越し来たり、旧号を用ひ「呉服町」と申し候。
家数64軒。