現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

義経の兄「阿野全成」と虚無僧の関係

2020-02-05 05:21:11 | 虚無僧って?

源義朝の正室で頼朝の母、熱田神宮の宮司「藤原季範」の娘が

「由良御前」だそうだ。紀伊和歌山の「由良」と関係があったのだろうか。

紀州由良には「実朝の菩提を弔うために建てられた」という興国寺がある。

日本に普化宗を伝えたのは興国寺の開山「法燈国師心地覚心」と、

虚無僧と興国寺を結びつけた『虚鐸伝記国字解』は、巻頭に

「阿野家に伝えられた」と書かれている。

「阿野家」の祖は、なんと「源義経」の兄「阿野全成」なのだ。

「常盤御前」が生んだ長子「今若」は、醍醐寺に預けられ、

「阿野全成」となる。頼朝の挙兵に、寺を抜け出して駆けつける。

「義経」の名声に隠れて、全く知られていないが、

「阿野全成」の妻は、北条政子の妹保子(阿波局)。

その「阿波局保子」は、頼朝の二男「実朝」の乳母となる。

「阿野」の子孫が、後醍醐天皇の后「阿野廉子」。

NHK大河ドラマ『太平記』でもでてきた。

「阿野廉子」の子が南朝の二代目「後村上天皇」である。

後村上天皇によって「南朝・興国」という年号が定められ、

紀州の「西方寺」が「興国寺」と名を変える。

実朝と北条政子の菩提を弔うために建てられた「西方寺」が

南朝の「後村上天皇」の信任を得るとは、いささか奇妙。

「由良、阿野、実朝、後村上天皇、森女、一休」というキーワードが、

「興国寺」そして「虚無僧」とつながる。この細い1本の線から、

由良の興国寺が、なぜ虚無僧の本山とされたのか。

その謎をぜひ解き明かしてみたい。



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