現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

お金では失礼でしょうから

2018-05-01 04:27:07 | 虚無僧日記

わが尺八の師「堀井小二朗」の随筆集『わたしの言い分』に
こんなことが書いてあった。

昭和30年、東京新聞主催の「邦楽コンクール」で、
堀井小二朗作曲の『沼』が、作曲部門1位となり、
文部大臣賞とNHK賞を受賞した。尺八と箏の二重奏。
箏の演奏は朋友の古川太郎氏。

優勝はしたものの、賞状と記念品だけだった。
NHKのえらい人が「何か意見はありませんか」と
聞くので、「お金が欲しいです」と答えたら、
「1万や2万の賞金では失礼だと思いますので」と、
賞品は置時計だった。

「こんなはずじゃなかった。日当くらい出ると思ったのに」
「仕方ないな、帰りの電車賃どうする?」と。重い賞品の時計を                                   抱えてとぼとぼと歩いて帰ったそうな。

そもそも、尺八は旦那芸。裕福な旦那衆が、箏や三味線の
お師匠さんのパトロンだった。三曲の演奏会では 尺八の                                     檀那衆が箏のお師匠さんにご祝儀を出すのが習慣だった。

ところが、堀井小二朗師は「私は音楽家ですからギャラをください」と                               云ったところ、お筝の師匠さんたちからは「なんてお金にいやしい」と                                 総スカンを食らってしまった。

堀井小二朗師が、ギャラを要求してくれたことで、今日、私たち                                  尺八演奏家が食べていけるようになったと言って過言ではない。

ところが、名古屋はまだまだ 60年前の慣習が根強く残っている。                                

25年前、私は単身赴任で名古屋に来た。東京では、1レッスン
1万円いただいていた。
私が名古屋に来たことを伝え聞いて、何人かの人が、尺八を
習いにきてくれた。名古屋駅からタクシーで 4、5千円使って、
手土産持って。そして2時間のレッスンの後、「お金では
失礼でしょうから」と、近くの居酒屋でごちそうしてくれる。
喉から手が出るほど お金が欲しかったが、「カタチの無い
ものには、お金を出さない」のが 名古屋人と知った。

詩吟の伴奏を務めた時も、終わって「こんなすばらしい尺八                                    今まで聞いたことがない」と称賛してくれるのだが、一向に                                   ギャラをくれる様子がない。そして二次会で御馳走はしてくれる。                      

ある邦楽の会では「3万円ですが、いいですか? 」と云うので                                   当然ギャラが3万円かと思ったら、当日「会費3万円」を請求                                    されて真っ青になったことも二度、三度。

プロとして認められていない己の芸の至らなさと痛感するしかない。

「予算はありませんが(タダで)来ていただけますか?」という依頼も多い。                             「お金は払えません」とはっきり言われる。お金のない人ではない。                                お金持ちほどケチ。いろいろな会に顔がきく。それで「私は一路さんに                               タダできてもらった」と自慢し、さらに「私から頼めばタダで来てくれるから」                            と吹聴する。おかげで仕事は増えるが、収入はさっぱり。

尺八では食べていけない。いや、毎日誰かが御馳走してくださるので                                食べることだけはできます。芸は身を助けるありがたさ。

                                                                              


 


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