現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

坪内ミキ子は逍遥の孫?

2015-06-18 21:39:48 | テレビ・映画・芸能人

ネットで「坪内逍遥」を検索していて、こんな記事が。

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女優の「坪内ミキ子」さん。以前、NHK・TVで、「坪内逍遥の孫」と
紹介されていましたが、おかしい。
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とのこと。

なるほど「坪内ミキ子の父 士行は坪内逍遥の子」という記載は
何件かありました。父は「逍遥の子」だが「キミ子は逍遥の孫
ではない」。この謎解きは。

ミキ子の父「坪内士行」(早大教授 劇作家 昭和61年没)は、
逍遥の兄「義衛」の三男で、明治24年(1893)、7歳の時、
逍遥の養嗣子となりました。しかし、大正8年(1919)34歳の
時、養子縁組を解消しています、ミキ子は昭和15年生まれですから、
その時はもう、父「士行」は「逍遥」の子ではなくなっていました。
ですから「孫」ではありません。でも、元「大映」の宣伝部に勤めて
いた方の証言で「坪内ミキ子は、デビュー当時、“逍遥の孫”として
売り出した」と認めています。それで「逍遥の孫」とする記述は
結構あります。

「士行」の養子解消の理由が気になります。
そこで調べました。

坪内士行は、逍遥の兄「義衛」の三男ですから、やはり名古屋で
生まれています。逍遥に子がなかったため7歳のときに養子となった。
1909年、早稲田大学英文科卒業。その後、ハーバード大学に留学して
演劇を学び、1915年に帰国。その翌年、留学中に深い関係となった
アメリカ人女性「マッグラルド・ホームズ」嬢が 後を追って日本に来た。
そこで大騒ぎ。
養父「逍遥」は、「飯塚くに」という女性を「士行」に娶合わせるつもりで
養女にしており、激怒。ホームズ嬢こ会おうともしなかった。

「士行」は逍遥の家を出て、ホームズ嬢と同居したが、ホームズ嬢は
異国になじめず、また認められない事の苦しみから2年ほどで去って
いったという。

「士行」は、1919年、小林一三による宝塚音楽学校創立に関わった。
その年、宝塚歌劇団1期生のトップスターだった「雲井浪子」と結婚。
「逍遥」は、ついに怒りが爆発、養子縁組を解消した。

そして「坪内キミ子」は、「士行」と「雲井浪子」の娘ですが、
1940年の生まれですから、「士行、53歳」「浪子、39歳」の時の子
でした。

「坪内士行」とアメリカ人女性の恋は、「森鴎外」の『舞姫』ごとき
ではないですか。

ついでながら、逍遥が「士行」の妻にしようとしていた養女「飯塚くに」の
父親は、鹿嶋清兵衛。母は、元新橋玉の屋の芸者「鹿嶋ゑつ」で、
この二人は、森鴎外の小説『百物語』の飾磨屋勝兵衛と芸者太郎の
モデルですってさ。もう ややしい、どうでもいい~か。




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