『名古屋叢書』 第24巻 「昔咄」 近松茂矩
P.124
寛永の頃、公方様へ御三家様、諸大名より「小姓踊り」を仕組まれ
あげられし事有り。御家(尾張徳川家)より御あげの踊りの章歌
多かりしが、その内、専ら後々まで残りしあり。これを御国(尾張)
にては「殿様おどり」と言ひならわしぬ。
この歌は「堀正意」作にて、当初は三味線は無く、小鼓、太鼓ばかりの
お囃子なり。・後日、盲女座頭の琴三味線を加え用いる。
(前歌) 雲のよそなる もろこしまでも なびけばなびく君が代の
いく千代 いく千代と かぎりなのきみ
(踊り歌 第一)
さすが あづまの みやことて、春はにしきを さらすかと
花も色いろ 咲き染めて つらさも 憂さも忘るる御世は
(間の手)
知るも 知らぬも おもしろや 知るも 知らぬも おもしろや
【以下省略】
紀州様よりは 「吉野の山を 雪かと見れば、雪ではあらで 花の吹雪よ」と。
これを 「紀の国おどり」 といへり。
この踊り、江戸御屋敷にて、毎日七ツ頃より稽古ありし。
「板倉内膳正重昌殿」 御心安く出入りされ、尺八上手なりしが
稽古の時に参られて、尺八を吹きて合わされしが、いと面白かりし。
間もなく、島原の城にて討ち死にされる。
これは、大名も尺八を吹いたという 珍しい記録です。
その尺八は、虚無僧尺八ではなく、歌舞音曲に合わせる
短い「三節切(みよぎり)」だったと思われます。