「日本書紀」には、聖徳太子について「兼知未然」(かねていまだ然らざるを知る)と書かれている。つまり未だこない未来のことを知っていると。以後「聖徳太子が未来のことを書き記した書『未来記』があるのではないかという記述がたびたび登場してくる。
「平家物語」には「聖徳太子の未来記にも、けふの事こそゆかしけれ」という記述がある。
藤原定家の日記「明月記」には「1233年 (天福元年)、瑪瑙(めのう)の石箱が発見され、そこに聖徳太子の未来記が刻まれていた」と。
太平記巻六の「正成天王寺未来記披見事」は、楠木正成が1332 (元弘2年)難波(大坂)の四天王寺で『未来記』を見たと。
その内容は
人王九十五代に当たって、天下一たび乱れて、主安からず。
この時 東魚(とうぎょ)来たりて、四海を呑む。
日、西天に没すること三百七十余箇日、西鳥(せいてう)来たりて、東魚を食す。
その後、海内(かいだい)一に帰すること三年。
獼猴(みこう)の 如き者、天下を掠すむること三十余年。
大凶変じて一元に帰す。云云(うんぬん)
正成はこれを次のように解釈したという。
「人王九十五代」は第96代天皇後醍醐天皇のこと。「東魚」は鎌倉幕府、「四海」は日本全体。「日、西天に没すること」は、幕府との戦いの中で、後醍醐天皇が一時期、隠岐に流されていたこと。「西鳥(せいてう)来たりて、東魚を食す」は鎌倉幕府を倒す者が現れるということ。
最近ネット上で話題になっているのが、近現代の予言。
「私の死後200年以内に、山城国に都が築かれ、1000年に渡って栄える(=平安京)。しかし『黒龍』(=黒船)が訪れ、都は東に移される(=東京)。しかしその東の都は200年後、『クハンダ』が来て、親と7人の子どものように分かれるだろう」
「クハンダ」とは「末世に現れる鬼」だという。地震、津波、火山の噴火などの大災害だろうか。今はさしずめ「新型コロナウイルス」であろう。
そして日本は「 親と7人の子のように8つに分かれる」というのだ。「親は東京を中心とする関東。子は北海道、東北、中部北陸、関西、中国、四国、九州の7つ」の行政区分がそれぞれ独立する。アメリカの様な州政府になる」と私は理解する。それが今拡大解釈されて「日本は八つ裂きにされ壊滅する」「日本崩壊」などと大袈裟に騒がれているのだ。
そもそもこの「予言」の出所がどこかである。
原典を探しても、実は四天王寺には現在「未来記」は存在しない。江戸時代になって「先代旧事本紀」という書物が出版された。『先代旧事本紀大成経』(全72巻)の69巻目に記された『未然本記』が、『未来記』を写した書であるとされ話題になったが、江戸幕府はこれを偽書と判定し、版元を処罰し、以後発禁本となった。
実はこの書は伊勢志摩にある伊勢神宮の別宮「伊雑(いざわの)宮」が、『先代旧事本紀』を持ち出して、「当宮こそ元の伊勢神宮である」と伊勢神宮と本家本元の争いを起こしたため、幕府が裁定に乗り出し、偽書と断定して伊雑宮を罰したのである。
ところが近年、またぞろ、「伊雑宮こそ元の伊勢神宮」として『先代旧事本紀』はじめ「日月神事」などが出版され、ネット上でもさかんに出回ることになった。それを元にさまざまな人が勝手な解釈を施しているのである。さて、真実はいかに。