現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

会津藩からの留学生 その2

2016-10-22 18:07:45 | 幕末の留学生

会津藩から海外に留学した人として、山川浩(大蔵)、
健次郎、捨松の三兄弟妹がいる。

長兄の「山川浩(大蔵)」は、15歳で家督相続。21歳の時
慶應2年(1866)、樺太境界議定会議のため外国奉行
小出秀実のロシア渡航に随行した。パリ万博にも参加している。

戊辰の役では 23歳で家老職。若年寄、防衛総督として指揮。
戦後は、斗南藩大参事となり、斗南への移住と開墾に尽力した。
明治5年(1872)谷干城の推挙により新政府に仕える。
熊本鎮台詰、陸軍少佐。
明治10年(1877)西南戦争では、西征別働軍参謀として
出陣し、西郷軍を破って熊本城の谷干城を助けた。
貴族院議員、男爵。


弟の「山川健次郎」は、
会津戦争時、白虎隊士として戦った。戦後、長州藩士
奥平謙輔の書生となり、また薩摩人黒田清隆の推挙で
明治4年(1871)国費留学生として渡米。イェール大学で
物理学の学位を取得して帰国。帰国後は、東京帝大、
京都帝大、九州帝大の総長となった。


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