現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

大分護国神社の警察墓地に「山室五郎」の墓

2022-11-29 20:37:35 | 虚無僧日記

もう10年ほど前になるか、虚無僧で国東半島を旅し、大分の護国神社に向かった。

大分護国神社の敷地内には、西南戦争で亡くなった軍人と警察隊の墓地がある。

神社に墓地とは珍しい。

大分の風景】大分県護国神社・その2:西南の役軍人墓地と慰霊碑群 - 大塚愛と死の哲学

上=軍人墓地   下=警察隊墓地

佐川官兵衛の墓 - 見えない糸ウォッチング

 

「軍人墓地」は、神社の駐車場わきで、すぐわかったが、「警察官隊墓地」は

斜面の下の、木々が鬱蒼と茂っている中だった。

104基の、高さ90cmほどの石塔が整然と並ぶ。お参りに来る人も無く、

ひっそりと佇む小さな墓碑に、涙がどっとあふれ出た。

正面に横一列、ひときわ大きな墓は「警部」クラス。一番左が、旧会津士「佐川官兵衛」の墓だった。

佐川官兵衛は、会津戦争で活躍、「鬼官兵衛」とあだ名された。

その武勇を買われて、西南戦争で「警察隊の一等大警部」に採用され、旧会津藩士300名を率いて参戦した。

佐川官兵衛の墓 - 見えない糸ウォッチング画像の説明

 

私の母方の曹祖父の兄「山室五郎」の墓は、入り口から三番目のブロックにあった。


墓誌には
「警視局四等巡査 山室五郎 豊後口警視第二号第二番隊 小隊兵
 福島県士族 明治十年六月一日戦死 豊後国臼杵町 齢二十年八月」

山室五郎は臼杵町で戦死したことがわかった。

しかも佐川官兵衛が田原坂の攻防で戦死したのは三月十八日。それから3ヵ月後。

墓は、意外にも鹿児島県や山口県の人も多い。むしろ福島県は13名で少ない。鹿児島県も14名いる。

山室五郎は薩摩人と共に、西郷軍と戦っていたのだ。

「“戊辰の復讐”と会津人が300名もこぞって西南戦争に参加した」というのは「作家の史観」だ。

あふれる涙に、息つまらせながら、『手向』を心静かに吹いた。

 


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