現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「空海」もキリスト教を学んでいた

2016-01-13 11:49:37 | 虚無僧日記

キリスト教読み物サイト「比較宗教」 から転載

 

九世紀に「空海」は、中国(唐)へ渡って真言密教を学びましたが、

この「真言密教」は、釈迦仏教とは全くかけ離れたもので、当事、

唐の都で広まっていた道教、ゾロアスター教、景教(キリスト教)、

バラモン教などの混合宗教です。

空海は、景教徒の般若三蔵(はんにゃさんぞう)という人物と論争し、

景教の知識を吸収しました。般若三蔵は、「大秦寺(だいしんじ)という

景教の教会を営んでいた人物です。「大秦」とはローマ帝国のこと。

 

空海は 唐で「潅頂」を受け「遍照金剛」という潅頂名が与えられました。

これはキリスト教でいう「洗礼」で、「遍照」とは"広く照らす"の意味ですから、

聖書「マタイの福音書」五章一六節の、「あなたがたの光を人々の前で

輝かせ」の意味です。「潅頂」というのは原始仏教には無かったものです。

 
空海は、死の間際、弟子たちに次のように語りました。
「悲嘆するなかれ。われは弥勒菩薩(みろくぼさつ)のそばに侍するために、

入定(死ぬ)するが、五六億七〇〇〇万年ののち、弥勒と共にふたたび

地上にまみえん」と。

「将来復活する」というこの信仰は、まさに、"キリストが再来するときに

クリスチャンは復活する"というキリスト教信仰と同じものです。


さらに、10世紀になると「称名念仏」の信仰が広まり始め、12世紀には、

法然や親鸞が「南無阿弥陀仏」の念仏宗を広めました。


「南無」とは、「帰依する」という意味で、「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏を

信じます」、「阿弥陀仏に帰依します」という意味です。法然や親鸞は、この

念仏を唱えるだけで、誰でも浄土(キリスト教でいう天国)に生まれることができ、

救われると説いたのです。


これは、聖書「使徒の働き」二章二一節の「主の御名を呼び求める者は、

誰でも救われる」というキリスト教と同じです。

このように、浄土宗、浄土真宗とキリスト教は類似点が多く見られるのです。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。