現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

宇治の庵主「朗庵」 の像

2018-03-09 08:38:29 | 一休と虚無僧

『宇治の庵主朗庵の図』というのがあります。

明らかに異人(中国人)の格好です。リールのついた釣竿を
腰につけ、手には長い尺八を持っている。その絵の上に
次のようなことが書かれています。

「余、東奥行脚の砌(みぎり)、相州巨福路(こぶくろ)建長禅寺に入り
逗留した折り、祥啓が「珍しい様相だ」といって、自分の姿を
描き写してくれた。そして「思うところを記せ」と勧められた
ので、次の詩を書いた。

 龍頭を切断してより之後 尺八寸中古今に通ず
 吹き出だす無常心の一曲 三千里の外知音絶す

 文明丁酉秋( 宇治の旧蘆にて 朗庵叟書」

「相州巨福路(こぶくろ)建長禅寺」は鎌倉の建長寺。
祥啓は、そこの画僧で、文明10年には京都に上り、
絵の修行をしています。

この絵と賛がその通りならば、大変貴重な史料ですが、
神田可遊氏は「この絵は、中国(宋)から伝わった、絵の
見本帳を模写したもので、何点か現存している」とし、
しかも上段の「賛」は後で切り貼りされているという
のです。

となると「朗庵」の実在もあやしくなってきます。

この詩は『体源抄』(豊原統秋 1515頃)に、「一休の
作として載っているのと似ています。

『朗庵書』       『体源抄』

 龍頭切断而以来    龍頭切断而以来
 尺八寸中通古今    尺八寸中通古今
 吹出無常心一曲    吹出無常心一曲
 三千里外絶知音    三千里外少知音

しかし、現存する「日本古典全集刊行会」の翻刻版
『体源抄』には、「尺八寸中通古今 吹出無常心一曲」
の二句がありません。原本には在るのか、いつ誰が
付け足したのか、謎なのです。 

そしてまた、狂言の「楽阿弥」に出てくる台詞とも似ているのです。

「かの宇治のろうあんじゅ(朗庵主?)の尺八のじょ(偈に同じ)にも
両とふ(頭)をせつだんしてより、尺八寸中古今に通ず、吹き起こす
無常心の一曲 三千里の外に知音絶す」と。