現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧曼荼羅 No. 9

2017-01-22 19:38:30 | 虚無僧って?

『邦楽ジャーナル』2017年 1月号 に掲載

 

虚無僧の元は薦僧(こもそう)

「虚無僧」は江戸時代以前は「薦僧(こもそう)」でした。

「薦(こも)むしろ」を腰に付けていたからです。

「薦僧」の初見は『大内氏壁書(ルビ:かべがき)』。

これは室町時代、中国地方を支配していた大内氏の法令集です。

その文明18年(1486)年の禁制に「薦僧、放下(ほうか)、

猿引(さるひき)は領内から追い払うべし」とあります。

一休が歿したのは文明13年(1481)ですから、その頃には

薦僧が諸国を往来していたことになります。

しかし大内氏の領内では、薦僧は不審者として追い払うべし

との扱いでした。

「猿引き」は猿回しのことです。猿は馬の守護神とされ、

馬の疫病除けの祈祷という宗教的意味あいがありました。

「放下(ほうか)」は笹竹を背負い、こきりこを打ち鳴らし、

手品や曲芸をして銭を乞う辻芸人。薦僧と同様、僧ではないのに

「放下僧(ほうかそう)」とも呼ばれていました。

当時、薦僧は尺八を吹いて銭を乞うことで、辻芸人と同様に

みなされていたのでした。

この『大内氏壁書』の禁制から10年ほど後に作られた『三十

番職人歌合』に「薦僧」が描かれています(図①)。これは職人や

宗教的芸能者を紹介したもので、「薦僧」について「貴賤の門戸に

よりて尺八ふくほかには別の業なき者にや」と書かれています。

また、この頃に制作された『洛中洛外図屏風』には、尺八を

吹いて門付けする二人の薦僧が描かれています(図②)。

 時宗から禅宗へ

 江戸時代の初め元禄の頃まで、天蓋(=深編笠)は無く、浪人が被る

三角の笠でした。(図③)、薦僧は浪人が喰い詰めて尺八を吹いて銭

を乞う所業にすぎなかったのですが、それを民衆が受け入れる宗教的

土壌がありました。諸国を回遊して念仏を広める念仏宗、時宗(じしゅう)の

存在です。尺八は中世、時宗の徒が念仏踊りなどの伴奏に使っていました。

連歌師や琵琶法師も尺八を吹いていたようです。能の観阿弥、世阿弥、

歌舞伎の出雲の阿国という阿弥号は時宗の徒(=時衆)であることを

示すものです。今日日本文化とされる芸能の大半は時衆の人々に

よって創られたのでした。

そして、能や書、茶道、華道に禅機を吹き込んだのが一休でした。

本来禅宗は歌舞音曲とは無縁です。一休が尺八を吹いたということは、

禅者としては風狂のふるまいです。一休は半ば冗談で「今日から

時宗になる。純阿弥と名乗ろう」とも云っています。一休は普化の

風狂にならい、時宗を真似て尺八を吹き、朗庵や一路に影響を与えました。

そして一休の没後100年を経て、茶道の興隆とともに一休ブームが起こり、

『一休咄』などの本が次々と出版されます。浪人者の薦僧たちは、

それらの書物から「普化」を知ったと思われます。なぜなら、薦僧たちが

『臨済録』を読むことはなかったでしょうし、「普化」の名を世間に

知らしめたのは一休以外にはいなかったからです。

江戸時代以降、猿引き、ささら者、鉢叩き、放下僧、獅子舞、万歳、

ごぜ、鳥追い等の宗教的芸能者が最下層の身分に位置付けられたのに対して、

薦僧がにならなかったのは、「普化」を祖とする「普化僧」であると

主張し、時宗から禅宗に鞍替えしたからと考えられるのです。

 

 


飛ぶ発想 セブン−イレブン創業者 鈴木敏文氏

2017-01-22 10:12:32 | 虚無僧日記

「プレジデントオンライン」の記事

セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問 鈴木敏文 氏

『わがセブン秘録』(鈴木敏文著)からの抜粋です。

 

 セブン−イレブンの創業を発案したのは、私が40歳の頃。 

イトーヨーカ堂の取締役に就任していました。もし私のなかで

会社と仕事が一体化していたら、オーナー社長の反対を押し切ってまで、

遂行しようとは思わなかったでしょう。

会社と仕事とは別で「会社にしがみつく」という意識を持たなかった

からこそ、反対にあっても、未来を起点にして、跳ぶ発想をすることが

できたように思います。

「会社にしがみつく」という意識を持っている限り、新しいものは

発想できません

これまで多くの新しいものを生み出してきましたが、それは何かを創造した

わけではなく、それまで結びついていなかったもの同士を、あるいは、

誰もが結びつくとは思っていなかったもの同士を結びつけるということを

繰り返してきただけです。

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そう、もう何十年も前、鈴木氏の講演を聞いたことがあります。

海外研修で出かけたアメリカで たまたまセブン−イレブンという

コンビニエンスストアを見つけ、そのノウハウを教えてくれと

頼んだら、莫大な金額を要求され、分厚いマニュアルをくれた。

日本に帰って、翻訳したが、役に立つような情報はゼロだった、

というような話でした。今ではアメリカの7イレブンはつぶれ、

日本の傘下にあります。

アメリカのマニュアルは全く役に立たな買ったけれど、しかし、

鈴木氏は、コンビニを日本の小型店の将来像と結びつけて発想したという。

「当時、日本は大型の総合スーパーマーケット全盛時代で、商店街の

小型店は凋落の一途をたどっていました。そのため、コンビニの導入など、

学界からも、業界からも、社内からも、「小型店が成り立つはずない」

「無理だ」「やめろ」の反対論の大合唱が巻き起こりました。

私は、中小の小売店の経営が難しくなったのは、大型店の進出が原因ではなく、

市場の変化に対応できなかったことにある。ならば、コンビニエンスストアの

仕組みを導入すれば、大型店との共存共栄が可能になるという、一歩先の

未来像を描きました。

過去の延長線上ではなく、「未来を起点にした発想」で考えた。

いわば、“跳ぶ発想”です。

セブン−イレブンでのおにぎりやお弁当の販売も、流通業として前例のない

自前のセブン銀行の設立も、上質さを追求してプライベートブランド商品の

セブンプレミアムの開発も、常識を覆した発想です。

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まったく、銀行預金の出し入れも、公共料金の支払いも、専門機関で

あるはずの銀行や郵便局よりも コンビニの方が早い。本家はいったい

何をやっているのだと言いたい。最近では、本も物品、チケットの購入、

楽譜の購入も、なんでもコンビニで用が済ませる。そうトイレまで。

我が家はウォッシュレットでないので、すぐ近くのコンビニのトイレで

済ます方が気持ちいい。


国内最大のパワースポット「分杭峠」そして御池山隕石クレーター

2017-01-22 09:33:16 | 虚無僧日記

 虚無僧の旅は当ての無いぶらり旅、気の向くまま、足の向くまま

ですが、不思議な力で 予期せぬ場所へ導かれることが多々あります。

もう何年も前ですが、長野県の飯田から大鹿村を回って、浜松方面へ

南下していた時、「分杭峠」という所に行き会いました。

まだ初夏の頃で、セミの鳴き声に引かれて、行きついたところが

「分杭峠」でした。近年「パワースポット」として知られるように

なったところです。「パワースポット」とは「地場がゼロ」。

つまり方位磁石の針が NS(南北)を示せないところです。そして

不思議な事に、そのパワースポットの所だけでセミが鳴いていたのです。

 ここは断層の「中央構造線」が走っている真上とのこと。

気功も 地場をゼロにすることで起こる不思議な現象ですが、

パワースポットも何らかの「気」が出ていることが、感じる人には

感じられます。私も感じやすいタイプなので、手の平がジンジンしました。

 

それから、さらに南に下ると、隕石の落下跡の御池山隕石クレーター」を

通りました。直径900mの巨大な谷になっており、この付近の岩石が 

高熱で焼け焦げて黒くなっていました。今話題の映画「君の名は」の話の

実例でもあります。ここでも不思議なパワーを感じます。

 

旅の途中 寄った古民家で、立派な馬の鐙(あぶみ)を見せてもらいました。

家主の話しでは「浜松の方から逃れてきた武将がここに隠れ住んだ」と。

正に、今NHK大河ドラマ『直虎』で、井伊谷から出奔した「井伊直親」の

ことではないかと、今になって思いますが、それがどこだったか思いだせません。