父の遺品をあらためて、取り出してみました。
①「祝・入営 牧原五郎君 親戚一同」という幟(のぼり)旗は、巾60cm、長さ 4mほど。
②「日の丸」「為牧原君 祈武運長久 陸軍大将 柴五郎」
③「日の丸」「義勇奉公 為牧原五郎君 陸軍大将 鈴木孝雄
陸軍中将 井上一次、 宮中顧問官 海軍中将 川島今次郎
海軍大将 鈴木貫太郎、 陸軍大将男爵 奈良武次」 と4名の連署
④「日の丸」 慶応の「福沢先生研究会」の方々 前川一益 他20名
⑤「日の丸」 東電浅草営業所 鈴木秀吉 他 数十名の寄せ書き
これらは、保存状態も良く、戦地には持っていかなかったのではと思われます。
「鈴木 孝雄」、明治2年(1869) - 1964年(昭和39年)は、鈴木貫太郎の弟。
靖国神社の第4代宮司。戦後は将校の集まりである偕行社の会長となる。
井上一次は 石川県出身だが、『会津鶴ヶ城の血戦』(1927年)や
『北越戊辰戦争と河合継之助』の著書がある。
各「将軍」たちは、昭和16年には、皆 退役軍人でした。「鈴木貫太郎」だけが
終戦時の総理大臣に返り咲きます。
さて、父は、昭和16年8月に入隊し、12月に支那に派遣されたが、この
「日の丸」は、いつ、いかなる事情で、各将軍に揮毫してもらったのだろうか。
皆、退役して、それぞれの自宅で閑居していたはずである。
父の兄「牧原源一郎」が、衆議院議員になったのは、翌17年の4月。
小日山直登運輸大臣の秘書官になるのは、昭和20年の5月だった。
兄「源一郎」が、これらの大将と接点があったとは思えない。