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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧 牧原一路 写真集 その4  名古屋駅前

2022-12-24 14:55:35 | 虚無僧日記


虚無僧 牧原一路 写真集 その3  伊勢おかげ横丁

2022-12-24 14:54:07 | 虚無僧日記


虚無僧 牧原一路 写真集 その2

2022-12-24 14:51:58 | 虚無僧日記


虚無僧 牧原一路写真集 その1

2022-12-24 14:49:28 | 虚無僧日記

虚無僧 牧原一路写真集 その1


虚無僧 牧原一路 写真集  牧の原城にて

2022-12-24 14:15:53 | 虚無僧日記

静岡県牧之原城にて

 


虚無僧 牧原一路 写真集

2022-12-24 14:15:53 | 虚無僧日記

静岡県牧之原城にて


虚無僧 牧原一路 写真集

2022-12-24 14:09:51 | 虚無僧日記

高知県室戸岬

高知県足摺岬

 


一休の母

2022-12-16 16:21:16 | 一休と虚無僧

一休の母について、日野中納言の娘「伊予局」とか、藤原顕純の娘、
花山院の娘などと、色々云われているが全部嘘である。根拠は
全く無い。

母について書かれた唯一の書は、一休没後まもなく弟子達によって
編纂された『一休和尚年譜』である。そこには、

「母は藤原氏、南朝の高官の胤、後小松帝の寵愛を受けていたが、
懐剣を隠し持って帝の命を狙っていると后に讒言されて、宮中を
追われ、民間にはいって一休を生んだ」としか書かれていない。

日野とするのは、後年楠木の残党が禁裏を襲って三種の神器を奪う
事件が起きた時、日野某が手引きしたことによるものと考えられる。

昭和36年、大阪に住む楠木の子孫と名乗る人が、系図を公開し、
新聞に載り話題となった。そこに

「楠木正成の三男正儀(まさのり)とその子正澄が河内倉満ノ庄
津田村(現枚方市)を経て、八箇ノ庄水島(現門真市三つ島)に
移り住んだ。正澄の三女が後小松院の官女となり、一休を産んだ」

と、かなり具体的に書かれてあった。「慶長17年(1612)年に書き
写した」との奥書もあって、真偽論争もされぬまま、忘れ去られて
いる。京都大学教授の「東 光(あずまひかる)」という教授が
太鼓判を押して発表したので、後に何かの記事に「“今東光”氏も
楠木説」とあって笑ってしまった。「今」氏もあの世で ビックリ
していることだろう。

門真市三つ島の下三島公園横に「一休の母の墓」というのがある。
たぶん、昭和36年にこの記事が公表されからのものと思われるが、
もしそれ以前から、そういう言い伝えがあったとすると、この
「楠氏系図」を裏付けるものとなる。真相はいかに。



東映アニメ「とんちんかんちん一休さん」

2022-12-16 16:17:49 | 一休と虚無僧

EPレコード:とんちんかんちん一休さん(テレビ漫画「一休さん」から)

ネットで「一休さん」のDVDを入手した。
東映アニメとしてテレビ放映されたものだ。

S50.11.19放映の、第6巻「さむらいと千菊丸」
を見て驚いた。一休が不審な侍に付け狙われる。
蜷川新右衛門から、「一休の父は天皇、母は楠木
正成の娘。そのため、南朝方の残党が 一休(千菊
丸)を大将として、足利幕府を倒そうとする企み
があり、それを警戒して見張っているのだ」と
教えられ、争いはやめようと一休は知恵を絞る。

正に、敵味方どちらにも組しない「この端渡る
べからず」の一休さんとして描かれていたのだ。

「一休の母が楠木の血を引く」と明記した史料は
無いが、そう推測しうる状況にはある。それを
東映アニメでは「一休の祖父が楠木正成」と断じて
いたことには驚いた。但し、年齢的には4代前だ。

私は「 正成-正儀-正澄-娘-千菊丸(一休) 」
と考えている。





一休と世阿弥

2022-12-06 19:03:57 | 一休と虚無僧

宗教哲学者「梅原猛」氏は、そのの著『観阿弥と正成』で
「観阿弥・世阿弥は楠木氏と血縁関係にある」と明言している。

伊賀の旧家、上嶋家に伝わる「上嶋家文書」の中の
「観世 福田 系図」に、「観阿弥の母は橘正遠の娘」と
記されているという。 楠木氏は橘姓なので、正遠は正成の
父ではないかと考えられている。上嶋文書の真偽については、
東大教授の平泉澄氏や、京大教授の林屋辰三郎氏も、
正当性を証明しているとのこと。

つまり系図は

楠木正遠----正成------正勝
|        |
|        |--正儀-----正澄-----女--- 一休
|
|
 女--------観阿弥-----世阿弥

そして一休は、正勝の弟正儀の孫娘と後小松天皇との間に
生まれた子。一休と世阿弥はともに、南朝方の楠木の血が
流れていたのだ。

このことは、早くから知られていたのだろうか。
小説などで、一休と世阿弥が組んで、南朝の再興を願い、
足利義満の暗殺を図ったというような話もある。