小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

追悼 阪神淡路大震災 1.17

2019年01月16日 | その他


平成最後の歌会始 お題は「光」 

最後に天皇陛下の「贈られし ひまはりの種は 生え揃ひ 葉を広げゆく 初夏の光に」という歌が詠み上げられました。

この歌は阪神・淡路大震災の追悼式典に参列した際、小学6年生で亡くなった加藤はるかさんの自宅跡に咲いたひまわりの種を受け取り、その後、お住まいの庭で大切に育て続けてきたひまわりの成長の様子を詠まれたものです。  NHK NEWSWEB 2019年1月16日


 

       

     






阪神・淡路大震災から24年目がやってきた。


--------------------------------------------------------------------




 
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 女の気持ち  妖怪の気持ち... | トップ | 高丘コミセン 高齢者大学 ... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ree)
2019-01-17 02:19:00
お母さんの言葉に胸がぎゅーーってなりました。

24年ですか・・・早いですね。
あの日小父さんはどちらにいらしたんですか?
私は東京だったんですよ。
出勤して関西の支社、店頭の販売員の無事の確認などで本社も混乱してました。
返信する
Unknown (イジー)
2019-01-17 08:19:32
小学6年生の娘を連れ帰国したのはこの震災の1年前の1月でした
その時友人の車を運転してこの高速も走ったんで
1年後大きなダメージを受けた高速道路の写真に他人事ではない思いでした

はるかさんも生きておられたら30歳代後半になってるんですね
返信する
reeさんへ (小父さん)
2019-01-17 13:42:11
写真の菊地いつかさんは震災の犠牲になられた加藤はるかさんのお姉さんです。
加藤はるかさんが生きていたら36歳、我が息子の2つ下です。

私は、明石の寝床で大揺れを体験し、家族をほっとらかして神戸市北区のマンションの建設現場にすっ飛んで行ったものです。
(近隣の家族はみんな家に居て水汲みなんかしているのに)「何でお父さんは出ていったん?」と息子が言っていたそうです。

>・・・店頭の販売員の無事の確認

こちらもそうでしたね。
でも、その前に神戸の中心街であのような被害が出ていることを全く分かりませんでした。
テレビに映ってからでしたね。
返信する
イジーさんへ (小父さん)
2019-01-17 14:28:33
>小学6年生の娘を連れ帰国したのはこの震災の1年前の1月でした

そうでしたか。
息子が38歳、イジーさんの娘さんが37歳、そしてはるかさんが元気だったら一つ下なんですね!

>1年後大きなダメージを受けた高速道路の写真に他人事ではない思いでした

驚かれたことでしょうね。
Northridge earthquakeで高速道路が崩壊した映像も信じられない思いで見ていましたが、それが神戸で起ころうとは悪夢でした。

たった今、知ったのですが、そのロサンゼルス地震が1994年1月17日4時30分55秒に発生し、
奇しくもこの阪神淡路大震災が1995年1月17日5時46分52秒なんですね。
返信する

コメントを投稿

その他」カテゴリの最新記事