ゴールデンウイークも後半に差し掛かり、今日はこどもの日でまだ土日が続くのだが、なんとなく連休の最終日のようなものである。
結局この連休はほとんど家に閉じこもり仕事をする羽目になってしまった。仕事をしてる最中でも常に頭にあったのは、やはり東北の事だった。又一から再出発をしなければならないが、中々軌道に乗らないニュースばかりが聞こえてくる。
色々議論はあるのだが、先立つものはお金である。復興計画を議論するより先に東電の賠償金の話しの舞台裏がリークされ顰蹙を買ってはいるが、それも人間の弱さを表しているものだろう。
この連休、仕事漬けとは言いながらそれでも少しの時間を見つけて、お金の問題を扱う経済学について考えてみた。
そして一冊の本 竹中平蔵著”経済古典は役に立つ”を書店の店頭で買い求め通読してみた。
学者を好き嫌いで判断してはいけないが、竹中慶応大学教授はその言動や柔ちゃんに似た顔立ちから私は余り好きなタイプではなかったが、その表題につられ読んでみると、極めてポイントをついた解説に感心して読み進んでしまった。
アダム・スミスの見えざる手から始る経済の古典の系譜を氏は楽観主義の系列と悲観主義の系列に分けてわかりやすく解説している。
楽観派として、アダム・スミスとケインズ、シュンペーターを上げ、悲観派として、マルサス、リカード、マルクスを取り上げて、時代の流れと共に自由放任、市場主義から政府や企業が関与する経済発展の歴史を振り返る。
その中でもケインズの影響が最も大きく現代は、ケインズ批判としてのハイエク、フリードマン、ブキャナンというノーベル賞受賞経済学者の議論に問題が集約される事を指摘している。
それは”資本主義と自由”の問題につきるのだが、現在の低成長、デフレ、財政赤字はその中ですべて議論されている。 そして現在の民主党菅政権のやっていることは、先達の教えに反する事だらけという結論が導かれることになる。
20数年前、坂本二郎一橋大学教授の話を聞き”寺小屋講座・蘇れ人間経済学”を読んだ時の新鮮な感動が未だに忘れられない。
今では坂本教授の事を知っている人や話す人等誰もいなくなってしまったが、当時の地域開発、都市開発について氏の発言や行動は大きな反響を呼んだと思う。
この寺小屋講座も、アダムスミスから始まり、マルサス、フリードリッヒ・リスト、マルクス、マーシャル、シュンペーター、ケインズ、ボールディングを取り上げ、それぞれの人間性や生い立ちから学説、政策提言のなかに、日本の未来を見ようというものだった。
マルクスが喝破したように、経済は人間の意識の下部構造として常にその行動を制約している。
しかしその法則を我が物として主体的に運用できた時は又計り知れない幸せを人間に与えてくれるのも事実だろう。
これらの経済の古典は、人間がその弱さを克服し勇気をもって生きていくことが大切な事を改めて教えてくれるように思う。