木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

●梅棹忠夫と国立民族学博物館

2010-07-06 22:23:18 | Weblog

 

 

文明の生態史観で有名な梅棹忠夫先生が亡くなられた。90歳だった。

若い頃、氏の情報産業論や知的生産の技術などを一生懸命に読んだことがある。

黒川さんが、若くしてスターダムにあった頃、青山一丁目の交差点にある三菱地所の青山ビルディングの11階の半分以上を黒川事務所、アーバンデザインコンサルタント、社会工学研究所の三つの会社で、借りていたことがあった。

そのころは三つの組織でよく行き来をして大変楽しかった思い出もあるが、あるとき、梅棹忠夫先生を囲んで討論会というか語り合う会を催したことがあった。

 

当時は良く考えるととても近づき難い偉い先生とも、平気で意見を交わしたり、失礼なことも話したりしたが、これも黒川さんのおかげだったかと思う。

 

情報産業論と言っても、コンピューターやIT機器を駆使するような話ではなく、もっと身近な情報を大事にするようにとか、あるいは過去のものを大切にすることから情報が得られると言うような、多少保守的な話をされたように記憶しており、物足りなくなった私は、生態学や人類学の実用性や効用性について先生に質問したことがあった。

その時先生は、都市のすべてが博物館になれば実用や効用という概念はなくなってしまうようなことを諭すように話してくれたが、しばらくその意味が理解できなかった。

 高度成長が終わり、安定成長時代かと思いきや様々な地殻変動で安定しない日本社会や世界の現象を見ていて、今何となくあの時先生が言いたかったことが理解できそうな気がしている。

 

梅棹先生が初代館長だった国立民族学博物館は、黒川紀章建築都市設計事務所で設計を行った。

私が20台後半の頃で、黒川さんが40歳ごろの作品である。

鳥瞰写真のように中庭を持ったブロックがいくつも重なり合って、増築が可能なユニークな形態をしている。

事務所では当時ヨーロッパの博物館資料を大量に集めて研究していたが、私は海外研修制度で偶々ヨーロッパのミュージアムを体験的に見てきたところだったので、このプランの原型がどこにあるのかもすぐ理解できたし、優れた着想だと思った記憶がある。

 

梅棹先生の文明の生態史観は、簡単に言うと自然現象と地理的条件から見て、大陸の中心から辺境の地にある西ヨーロッパ文明と日本文明の共通性、近似性に焦点をあてた独創的なものだが、近代以降の極端な西欧傾斜も故なきことではないのだろうと思う。

最近の中国や大陸の経済的成長、変貌や激動振りを大陸に詳しい先生はどのように見られていたのか一度聞いてみたかった、、、。