今日、ワールドカップ南アフリカ大会に出場したメンバーが帰国した。
決勝トーナメントに進出し、パラグアイに破れはしたが、多くの感動を与えたチームであった。
国民の多くが注目した4試合、睡眠不足が続いた日々だったが、これほど国民の気持ちを一つにさせるものは他にはないだろう。
今大会では私は日本チームの活躍の他に、アルゼンチンのマラドーナの一挙手一動に大変興味があった。
リオネル・メッシの魅力的なドリブルスタイルも見ていてワクワクさせるが、まだまだマラドーナのそれには及ばない。
パラグアイ戦でも感じたが、南米のサッカーは力強さが違う。
体も大きさだけで言えば、それほど日本人も引けをとらないが、どうしても気持ちの問題、あるいは心の問題かとも思う。
マラドーナも貧しい家庭の生まれでそこから這い上がり現在の地位を獲得したと言う。
今回のアルゼンチンのFWの一人は、日々拳銃に見守られる中で幼少期を送ったようで、それを思えばサッカーでどれほどプレッシャーを受けようと物の数ではないようなことを言っていた。
やはりハングリーさがぜんぜん違う。そしてサッカーが生活の一部になっているのだろう。
日本ではちょっと名が売れるとすぐスポンサーが付いたり、テレビでちやほやされすぐに精神がスポイルされるようだ。
大分前に、”題名のない音楽会”という作曲家の黛敏郎氏の主宰する番組があり、その中でクラシックの指揮者の岩城宏之氏と確かキューバンボーイズというラテン系のバンドの指揮者が、それぞれクラシックとラテンの音楽を指揮しあう場面があったが、ラテンの指揮者が両方そつなくこなすのに、岩城氏はラテン音楽がまったく指揮できなかった。
やはりリズム感がぜんぜん違うのだと当時思った。
マラドーナの全盛時代のプレーを見ていると、変幻自在まるでラテン音楽の指揮者のようにグランドを駆け回っていた。
やはりラテンの血とハングリー精神がそのプレーに反映し、他の追随を許さない境地を作り出すのだろうと思う。
日本選手のこれからにこの精神を、、、、そして建築の設計でも都市の設計でも、ある意味ハングリー精神を忘れると途端につまらないものになってしまう。
ワールドカップはまだ終わったわけではないが、帰国した選手達の表情や言葉の中に、自らの自戒の念を垣間見る思いではあった。