横濱kabitanの、あれこれ話

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横浜・赤レンガ倉庫1号館イベント見学:ラスト

2012年06月30日 04時57分22秒 | 横浜文芸関連

■ビデオアート展「都市の表象」、の続き
10、「占領(ジョン・メリック/2006年・米≠仏)」
『映画「占領」は、ゼネガル出身の、社会の片隅で生活する絵葉書の露天商マリックの肖像である。彼は車で町を回り、もぐりで売るお決まり場所をとらえようとする。彼の昼夜の長旅を通して、町の風景は、その特性/多様性/現代的な変貌をあらわにし、工業化に伴う変化のしるしを滲み出している。主人公は、覚悟をもって、体系的に、そのしるしを受託する最後の何人かの一人の自認しているようである。
 ジョン氏はニューヨーク在住。映画やオーディオ作品を創り、エッセンや小説を執筆する。版画やデッサンも時折手がけている』
11、「無時間(セシール・アルトマン/2011年・仏≠アラブ首長国連邦)」
『2008年にドバイの建設現場で、労働者の昼夜の仕事の周期にあわせて撮られたこの作品は、建築と自然の力関係を抽象的に再構成している。不安定に築かれている町は、破壊と建築の逆説的な瞬間に存在するに見え、消えていく未来の廃墟のようである。
 セシール氏は1971年生まれ、パリ在住。彼女の映画は、絵画的/政治的視点で創られ、異なる世界間や変容する複数のシステム間の交流や衝突の現象を探求している』
◎建造物/痕跡
12、「軍艦島(ルイージ・ベルトラム/2010年・仏≠日)」
『日本の軍艦島は、炭鉱で栄えたが、1974年の閉山後、無人島となった。整然とした計画なしに発達した。いわば実験的物体だが、今日では日本の近代化遺産/集合住宅の遺構となっている。空虚な遺構葉、人は居住しないが、これらの建造物の公安の歴史や、建築に携わり利用した人々の歴史が層を成し、宿っている。
 ルイージ氏はマルセイユ生まれ、パリ在住。彼の作品は、20世紀の発展に影響を与えた政治力としての映画の語り手的構造や形式を打ち破る形で発展してきた』
13、「トリポリ(クヌート・アズドム/2010年・ノルウェー≠レバノン)」
『トリポリには、世界で最も独特な建築計画の一つの残骸がある:1966年に建築科オスカー・ニーマイヤーが考案した国際展示センターで、75年の内戦勃発(ぼっぱつ)以来、放置されてしまったものだ。建築のドキュメンタリーと整合性のない演劇の舞台との中間のこの映画は、この残骸とそれにまつわる、未完のまま荒廃に至った暴力的な描いている。現代風な残骸は、以後変革していった中東の、楽観的だった時代の記念碑として表れる。
 1968年トロッドハイム生まれのクヌート氏は、現在オスロ在住』
-主人公にあたる黒人が、廃墟をまわりながら人々ととりとめない会話を繰り返し、最後、屋上にある拳銃を手に思いを巡らす-という内容でしたが、舞台の未完成のままの廃墟が死者のようで不気味でした。
 廃墟は全てを拒否する力があります。
◎主観的な建築物
14、「沈黙の演出(ハンス・オブ・デ・ビーク/2009年・ベルギー)」
『「沈黙の演出」は、芸術家の記憶から汲み出され、公共の場でのいくつかの経験の共通項として機能する。抽象的で規範的なパラメーターを土台としている。記憶の映像は、具体的な情報と幻想の不釣合いな混合になっており、映画の中では、特定できない作業や身ふりの即興を通して観客の目に捉えられる。映画に現れる場所は、可能なストーリーの為の装置以上でも以下でもなく、観客の中に何かを喚起するものである。
 ハンス氏は1969年生まれ、ブリュッセル在住。彼の芸術活動は多岐にわたる:彫刻/即興/ビデオ/写真/アニメ映画/デッザン/絵画/小説の執筆。彼の作品の本質的なテーマは、メディアや自動化や科学が引き起こしたグローバル化と生活スタイルの変化の結果に生じた、距離の消滅/個人の疎外、そして時間の抽象性である』
-身近なものだけで街のセットが組まれ、映画「アーティスト」のようにモノクロで無声でミニチュアの街や室内が次々とセットされ解体されていく-ミニチュアだけでその場の空気をかもち出していました。
 ≪無声+ミニチュア≫だけの低コストで手造り名展開ですが、創造力が無限に広まっていく作品でした。
 東洋の水墨画に通じる、世界観でした。



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