■東西交流の諸相
本展は、19世紀後半~20世紀前半の服装と美術に焦点を当て、横浜を一つの拠点とする東西の文化交流が、人々の生活や美意識にどのような影響を及ぼしたのか紹介するものです。本討論会では、日本のきものや工芸品が西洋服装や調度品などにどのような影響を与えたのか、また日本では西洋の服飾文化をどのように受け入れ世界に何を発信したのかについて、様々な分野における事例を紹介しつつ、東西交流の諸相を掘り下げて考察します。
≪基調講演「ファッションとしてのジャポニズム~絵画の中でのキモノ~」≫
:日本近代化は男性中心で、女性は遅れていたー本展第2章部分で紹介。
ー日本趣味ブームで、洋画家が取り入れたからー
、流行としての日本趣味を見る。
当初は、異国趣味からー発端は、横浜に来た外国人が買ったり見聞きしたのを、自国に持ち帰ってくるものから広まった。中国趣味と共にまざり、工芸・芝居と生活に入っていった。
=日本趣味の影響を見せるパリファッション=
「きもの地のドレス(1868年頃~)」
ー異国情緒の域から出ない
↓
「日本風文様のリヨンテキスタイルのドレス=技法の引用(1890年頃~)」
ー日本的もの、技術も模倣していく。
↓
「抜き衣紋・お引きずり。浮世絵美人の模倣=形態の引用(1910年前後)」
ー日露終戦、世界的に注目され出す。
↓
「直線構造の服(1920年代)」
ー第2次戦後、コルセットの解放などでゆるやかで、直線構造に注目。
=本展で紹介された、パリで活躍した4人の日本趣味画家=
●ジュゼッペ・デ・ニッティス(1846-84):イタリア人、西洋女性で想像の日本女性を描いた。日本コレクターで、日本趣味初期のヒト。
●アルフレッド・ステヴァンス(1823-1906):ブリュッセル出身ー
「彼の絵は100年後に歴史的意味を持つだろう。人はその時、証言する重要な資料として参照するだろう」
と称されている。
●ジュール=ジョゼフ・ルフェーブル(1834~1912):19世紀フランス正統派画家。この時代には、日本趣味ブームはたいぶ経っているが異国情緒あおるものだった。西洋女性が日本女性になるのに、きものが使われていた。
●チャールズ・ホーソーン(1872-1930):米国人、「kimono」を描く。
ー現在は、埋もれた日本趣味画家達。
19世紀ーパリでは東方(オリエント)美術があって、そこからの流れだった。
部屋着としてのキモノー富裕層ではそういう着られ方されている。19世紀までは一般化ーマネの作品は、そうした人の東方趣味が中国から日本に移っていたのが、描かれている。
当時にフランス人によると、キモノは浮世絵よりも低く見られて痛ー江戸から明治にかけて、小袖が輸出品では多かった。
ホイッスラーは、早い内に日本人コスプレとしてキモノを取り入れたが、バラしてカーテンなど装飾布として日常使いされるようになったー古代・東方とは違う独自の美しさに惹かれていく画家達。
職人の技術やセンスに、当時の評論家は、世界一と称されていたー
マネは、小袖を背景にしているー前進的日本的浮世絵的描写が多い。≪四季・秋≫では、女性を引き立てるのに黒いコート着させて菊柄ーこの時代には、菊は秋を示す事を知られていたーの、キモノを背景としてかけた。
菊柄のキモノは、パリの人気小袖ー装飾的背景化ー洋画本来の魅力を見せる作品。
19世紀末ー異国趣味から入ったキモノが、画家に装飾美を感じさせ20世紀美術の橋かけとなった。
キモノの豊かな色・質感を物語るだけの洋画に変化ー日本への趣味持たせる。ホーソーンのkimono=キモノ(西洋的)。
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