ごんぎつねの独り言 ~技術士試験(建設部門:道路、総合技術監理部門)の受験記録・ブログ~

不器用で、愚直で、貧乏くじを引くのが大得意な "ごんぎつね" が本音で綴るブログ。 恐縮です(^^ゞ

制度運用の矛盾と命題

2010年02月11日 | 技術士(総監)
今日は 2月11日(建国記念の日)。
ブログを開設して、ちょうど 2年経った。

初めて投稿した 2年前のエントリー を見ると 初心にかえることができる。
昨年のエントリー では、合否通知を待つ気持ちと、同志への思いを書いている。

その気持ち、思いは、今も全く変わらない。

経験、実績の乏しい私が、技術士(建設)になれたのも、更に、技術士(総監)にチャレンジする気になったのも、
ブログを介して、考え方や実務を勉強させていただき、モチベーションを維持できたお陰だと考えている。

Bookmarkをさせていただいている同志、そして、訪問、応援いただいた方々に 改めて感謝を申し上げたい。


さて、技術士(総監)の受験における命題があった。
その命題は、総監の技術的体験論文の課題に関するもので、2009年8月16日のエントリー で 以下の通り記した。

 総合技術監理部門用の「課題」は、本質的な矛盾を抱えており、実に不思議だ と感じている。
 不思議だと感じている方は他にもいるのだろうか?


本文には書かなかったが、疑問の要旨は以下のとおりであった。

20部門は科学技術の分野を専門分野別に縦割りにしてその深堀りをしているようなものであり、「選択科目」や「専門とする事項」を特定する意義がある。
一方、総合技術監理部門はそれらを横串で貫いて、社会の要求、公益といった観点からの全体最適化を目指していると理解してる。
そうすると、「選択科目」を括りつけること、ましてや「専門とする事項」を限定することは、逆効果であるように思える。

技術士(総監)の 存在意義、公益に対する あるべき姿 を考えた際の疑問である。

疑問は理解の萌芽である。

かつて、制度運用の根拠 を入念に調べてみたが、「専門とする事項」を限定する必然性はなく、珍妙な痕跡だけが見つかった。
制度面での必然性がないのだから、自律的に改めることは可能なはずなのに逆行しているように思えた。

一時は 口頭試験の棄権を検討 するほど真剣に悩んだ。
この一年、信ずることを決してあきらめずに、疑問の答えを探し続けてきたような気がする。

しかし、これまで考え抜いてきたつもりなのだが、未だに理解できていない。
平成13年度の制度改定調整の際に 内閣法制局 に拒絶された 「上級技術士」 設立への "未練" といった程度の 悲しいオチなのだろうか。

思い出されるのは、アウシュビッツ経験のある V.E.フランクルの 「絶望の方程式」。

 絶望 = 苦悩 - 意味

 ・ 絶望 : すっかり望みを無くす事。希望を失うこと。
 ・ 苦悩 : あれこれと苦しみ悩むこと。
 ・ 意味 : 物事がある脈絡の中でもつ価値。重要性。意義。

技術士(総監)の普及・活用拡大の「鍵」 は、技術士(総監)の存在意義を明確化が必要であり、そのためには本疑問の解消だと考え、粘り強く書いてきた。

立場もわきまえず、技術士制度の普及・活用拡大、国益への寄与などという大それたことをを考えすぎたのかも知れない。
技術士ではない段階において、生意気にも、技術士の認知向上への提言 をしたこともある。

私自身、以前と少し変化がでてきたことがある。
それは、長い苦悩を経て、「悲しい実態」 と「軽い絶望」 を受け入れるための 気持ちの整理 がついたことである。


お詫び:
なるべく隠さずに、事実や本音を素直に記しています。
トップコンテンツの 「スタイル」 に記した理由によるものです。
本人以外には興味がない内容、時には不快な表現を含んでいるかも知れませんが、ご容赦いただけると幸いです。

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