おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 幸せです

2012年06月24日 10時48分41秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
乳がんが、全身癌だと知らなかった。
この前、なんとなく調べたよ。そしたら う~ん。
だからなんだね。私は、クリニックで、高齢の方が、「10年以上経った今、再発です。」
と言われた。私は、「再発じゃなくて、新しく出来たのでは。」と聞いた事が何回かある。
その時は、ヘ~っと思ってた。この事を言うんだね。
数人の方を知っている。高齢で始める抗がん剤は、とても辛そうだった。
髪の毛も、バサ~と抜けるんだって。一人暮らしの方は、本当に大変だと思った。

おかあちゃん、私は、今から10年は、おかあちゃんを守りたい。
だから、健康で10年過ごしたい。
私のように0期の癌でも、再発した人を知っている。
本当に、全身癌なんだね。いくら調べても、顔を出さない。
出した時には、結構進んでいたりするんだね。
10年。それが望みだよ。

おかあちゃん、そしたら、もういいよ。
若いけど、私は1人だし、エンジィングノートを書いておかないとね。
何人かのお友達に託さないと。誰もが、平均寿命までいるとは限らないものね。
今日は、何だかしんみりするね。でも笑ってるよ。

家を直す事を、きっかけに色んな事をちゃんとしておかないとね。
おかあちゃん、家を直そうと言っていたのに、見せられなくてごめんね。
「ヒロちゃん、家を直して、そこに住みなさい。おかあちゃんも帰りやすいから」
そう言っていたね。引っ越そうか。って言っている私にそう言ったね。
私、ここにズーと住むよ。おかあちゃんと一緒だよ。幸せだよ。ありがとう。

おかあちゃんは、戦争の話をしなかったね。私は、戦争の話を聞く事がなかったので京都は
戦火から、免れたから戦争は、おかあちゃんには、爪痕を残さなかったのかな。そう思っていた。
初めて、戦争がおかあちゃんに与えたものを知ったのは、沖縄に行った時だった。
おかあちゃんは、涙を流してばかりいた。私は、それを見ておかあちゃんの辛さを知ったよ。
ごめんね。私は、うわべだけしか見ていない。あんなに泣いた沖縄で昨日、全戦没者慰霊祭があった。
昨日ね。手を合わせながら、泣いていらしゃる高齢の方を見たよ。今の私にはわかるよ。
何年経っても、その日の事、亡くなった方は昨日の事のようなんだね。
政治家は、言った事を出来なくても、平気で沖縄に行けるんだね。
沖縄には、何度も行ったね。西表島まで行った沖縄に、住もうと言ったら、
おかあちゃん「そんなん出来たらいいな」そう言った。
1か月でも良かった。5年の間にしてあげれば良かった。残念だよ。
おかあちゃん、会えてよかった。おかあちゃんの子供にしてくれてありがとう。
私は、幸せだよ。

おかあちゃん、ありがとう。好き好き好き好き好き。大大大大大好き。愛しているよ。
これからも、ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。
コメント
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