おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 会いたいな

2012年06月12日 00時35分51秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
ワン子と散歩の途中、寂しくなって泣いてしまった。
テレビでね。子供は1日の400回、笑うんだって。
大人になると20回位になるんだって。
私は、日々何回くらい笑っているかな。
おかあちゃんと一緒によく笑ったね。何でもおかあちゃんと一緒だと楽しかった。
おかあちゃんも、そうでしょう。「ヒロと一緒がいい」言ってくれたよね。
でもね。今日は、おかあちゃんに怒られた時を思い出したよ。
なぜ、あんなに怒られたのか忘れたけれど。
夜、『もう帰って来なくていい。』そう言って外に出された。
『堪忍や(ごめんなさい)もうしないから』そう言っていたと思う。
けど、戸を開けてくれなかった。私は、何度も言っていたと思う。
諦めて、ふて腐れて家から離れた。いつも遊んでいた公園へ行った。
暗くなってもいるので、心配した近所の人が家に入れてくれた。
おかあちゃんが迎えに来た。その時、何でこの家にいるのが分かったんだろうと思った。
だって知らないおばちゃんだったし。でも、おばちゃんはどこの子か知ってたんだね。
知らせてくれたんだね。おばちゃんは、一緒に謝ってくれた。
みんな後から知った。おかあちゃんは後日おばちゃんの家にお礼に行ったことも。
おかあちゃんが、外に出た時に、私がいなくて捜しまわった事もみんな近所の人から聞いた。
私は、おかあちゃんが私を嫌いになったと思ったけど、心配してくれたんだね。
おかあちゃんを、そんなに怒らせたのはごめんね。忘れた。
けど、大人になって おかあちゃんに、外に出されて悲しかった事を言っても『そんなん忘れた』って言ったから
お相子だよ。その後の事も覚えていない。
けど、キューと抱きしめてくれたと思う。私はおかあちゃんのキューが好きだった。
おかあちゃんが、悪くなってきた時、私も毎日おかちゃんをキューとしたね。
もっともっとしたかった。元々30キロ代だった体重が20キロ代になった抱っこしたね。
おかあちゃん、奇跡が起こると思った。だから最後まで治療した。
苦しかったのかな。止めてほしかったのかな。ごめんね。ごめんね。
思い出すと涙が出る。最後まで頑張らせてしまった。
止めたいと言わなかったのは、私が悲しむと思ったから。辛い思いをさせたのではないだろうか。
この事が、頭から離れない。ごめんね。ごめんね。堪忍してね。

おかあちゃん、ありがとう。大大大大大好きだよ。愛しているよ。
これからも、ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。
コメント
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