ブルースブラザーズ1978年LIVE
心の洗濯
日本人の心
竹中直人のファンなら、この映画‼︎
人生に乾杯‼︎
このところ、毎日、リンゴを食べてます‼︎
やっぱり、りんごは、いつでも美味しいです。
りんご地方出身の、お客さんからは、毎年この季節、お裾分けを頂きます。
八百屋で見かけると、美味しそうなのだ、つい買ってしまいます。
秋が深まると、身体が木の実を欲するのですかね…
まるで、冬眠前のクマのようですm(_ _)m
美味しいリンゴです。‼︎
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暮らし方、生き方の、選択肢が増えて、ずいぶんと、日本人も、生活様式が枝分かれしてきたようです。
若いお客さんと話をしてると、とても、それがよくわかります。
多様化の中で育った彼等は、僕等と違って、普通に多様性があります。
良くも悪くも、これからは、僕ら世代が、想像もしなかった景色や光景が、たくさん出てくるのでしょう。
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大人になると、物分かりの良い大人が多くなりすぎて、拍子抜けすることが、よくあります。
それくらい、現実は、生々しいから、受け入れるしか術がないです。
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ある若者から、言われました。
政治家が、みんな年寄りなのは、政治家をやるには、お金がたくさん必要
だから、お金を集められない若い人は、政治家には、なれないのだそうです。
二世議員は、親や後援会がお金を集められるから、どんなにアンポンタンな二世でも、若くても、政治家になれるのだそうです。
それを、良識ある大人から、淡々と、納得したように、言われると、返す言葉がなくなります。
ある若者は、そんな風に、大人の世界を理解したようです。
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駅前の広場は、今晩もまた、群れ集う、学生たちで、いっぱいです。
時に、歩道まで塞いでしまうので、先を急ぐ大人達から、罵声を浴びせられてしまいます。
ほとんどの大人が、"そこの若いの…お前らも、今にわかる時がくるよ‼︎…、そんな目線で通り過ぎていきます。
そうです。
大人になると、分かる日が、必ず訪れます。
そして、ほとんどの大人が、物分かりの良い大人になっていきます。
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お国の政策で、この数年で、高田馬場は、以前にも増して、アジア諸国からの若者たちで溢れ返り、この街は、すっかりアジア多民族特別自治区と、なってまいりました。
東京が、80年代の、NYみたいになるのも、そう遠くは、ない気がします。
高田馬場では、勝手に、新しい時代が、スタートしているようです。
大人達が、どんなに、国民を目隠しても、幾重にもアジアの絡み合う、この街の景色からして、社会が運ぶ、風の匂いは、もはや、隠し用もございません。
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こんにちは…ありがとう…さようなら‼︎
サンキューだけでは、もう、外国語不足です。
もはや、時代は、変わったと、認めるしかないですね。
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だから、年寄り政治家に、この有り様を見ながら、ぜひ、問うてみたいのです。
集団的自衛もわかるけれど、でははたして、今更この日本が、いったい、どこの国と、どうやって、戦争やれるものでしょう⁇
しかも、こんなハイテクな時代にです。
その気になれば、どんな国家機密だって、簡単に、世界中に、いとも容易く、バラ撒ける時代です。
若い人は、それを、みんなとてもよく知っています。
大人や年寄りは、それを遠目に警戒しますが、若者は普通に異文化と、しかも楽しみながら、共有をやっています。
年寄りだけが、必死に、仮想敵国にしがみつく理由は、いったい何なのでしょう。
思想や、私利私欲のためではなく、本心で、日本の未来を考えるあまり、情報の見極めができずに、そう結論する年寄りもたくさんいることに、問題はあるような気がします。
もしも、その仮想敵国とやらが、本気で日本を攻めてくるなら、もう、とっくにやってるはず‼︎
何よりも、右より漫画では、そんなネタばかりを、繰り返し繰り返しやってるではないですか。
ましてや、今回、原発のもろさが露呈したことで、テロは、より安価で、効果のある主張法と分かりました。
今の若い賢い連中ならば、知識だけでも、原発を狙うくらい、朝飯前です。
でも、今もって、やってないのはなぜか⁇
なぜ、やってみせないのか。
それも、簡単なことです。
その後に起きるだろう、背負わされる莫大なリスクを考えると、やらない選択が勝っているから、ただ、それだけのことでしょう。
誰の得にも、ならないからです。
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ましてや、欧米の同盟傘下国として、ここまで政治力、経済的力、軍事力を持ち、欧米にバックアップされる日本が、日本から、直接的に戦争仕掛けるなんて、ありないわけです。
リスクしか残らないのを知ってるからです。
何の得も利益もないからです。
もしも、何のリスクもなく、ただ儲かるだけならば、とっくの昔に、日本だって、戦争しているはずです。
今の安倍法案の決め方を、見ていてわかるように、法律など、どうにだってなるのだから、要は、戦争は、誰もしたくないのです。
…
若い世代は、その理屈を飲み込んでいます。
年寄りや大人は、理屈を毛嫌いします。
年下からの理屈は、全て、屁理屈と処理します。
そんな、大人の茶番に、若い人たちが、いいかげん飽きてきたようです。
王様の耳はロバの耳
と、叫びたくなったようです。
2011年の代償が、あまりにも巨大過ぎたことで、国家の仕組みまで、バレてしまったことが、今までの日本とは、風向きが違ってきたことです。
潔く若者に、大人が、本音で、事情を説明する時が訪れたのでしょう。
人間社会は、綺麗事では成立しないことなど、誰もがわかっています。
でも、常に、綺麗事の基準は、常に並べておかないと、社会は、基準がわからなくなり、軌道を保てなくなります。
僕など、どこかでまだ、この国に希望持ちたいから、僕には、この世の中が、手塚治虫の火の鳥を読みながらいるような…
毎日が、そんな気分になりました。
手塚治虫の作品の奥行きは、どの作品も、人間を問うと同じに、人間を諦めていないことです。
人生の儚い時間を惜しむのではなく、最大限に、人生を、バカバカしくやってやることです。
それが、平和と民主主義だと、思います。
(^ν^)