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今宵もお月様が‥幸せがまばたく時に

2013-04-22 | 諸行無常…let it be
真夜中、帰り道。

神田川にかかる小さな橋を通りかかる時、不意に誰かに声をかけれたような気がして、川を背にして夜空を振り返ることがある。

すると、そこには決まって、丸く大きくピカピカしたお月さんがいて、ニコニコしながら僕を見ている。

この二十年、いろんな顔の僕がいたはずだ。

この橋だけがそれを知っていて、そして、ちょうどこの橋の袂が、いつからか僕の唯一の特等席となっていた。

更に運の良い日には、宙にフワフワ浮いるような大きな満月が、そのまま水面に浮かぶこともある。

上手くいかないことばかりが続くと、決まってこの橋の袂に頬杖ついては、お月さんに話しかけている僕がいる。

それは、いつもは天国の母ちゃんであったり、時にはジョンであったり、近ごろではキヨシローであったり‥。

僕は、決まって同じセリフを、照れ笑いしながらつぶやいている。

"俺、今日はいくつ間違えたじゃろか‥。

よかったら教えてくれんね‥。

不思議なことに、必ず宮崎弁になっている。

雨も風も、花にも嵐にも、人生の例えはたくさんあるけれど、
僕は、川面に写る月を誰かに例えながら、たくさん話を聞いてもらった。

月にはどれほど支えられてきたことか。

人生の代償について、このごろよく考える

今日という日は、決して全てが無駄なわけではなかったが、完璧な一日など一度もなかった。

結局今日と言う日の終わりの相づちは、自分の嘘と今日のウソとの辻褄を合わせることだった。

年をとるほど、人は孤独になっていくと誰かが歌っていた。

それを否定したいなら、それを受け入れることだと、歌は結んでいた。

年を重ねていくほどに、人は自分から離れていく。

自分が自分から遠くなっていく悲しみは、どう表せばよいのだろう。

日はもうとっくに沈んだのに
まだ、歩道橋の上から、人の行き交う街を、ただ見つめている‥

ある日の自分を人混みに置き忘れたのか。

それとも、まだ見つけられないのか。

孤独が、いったいどこからやってくるのかなんて、わかりきったことだ。

だから、年を重ねるほど、より分かりやすい歌が好きになっていくんだ。


このグラスを飲み干す頃には
虫のいどころが見つかるはずだ

僕はもっと強くなりたい

幼い子供が、母親におねだりすると

母は優しい笑顔で、我が子のほっぺに両手をあてて、いつまでもなでていた。

僕のお月様だ。