素晴らしい映画です。
こんな映画が大好きです。
こんな映画こそが、本当のアメリカ人を
想像させてくれます。
みんな、どの国も、一般ピープルは、善人ばかりです。
そんなことを教えてくれる映画です。
しかも、選曲が実に素晴らしい。
またまた、アメリカカルチャーに、心動かす僕でした。
…
日本人を、考える。
僕は、ずっと、当てずっぽうに生きてきたから…
今更、乞うものなどありませんが、もしも、平均寿命まで生きるつもりなら、残りの人生について(^^;;、ちょっとは、筋を通してみたいと、思ったりします。
それは、今の時代を、しっかり見つめようとする、若者達に、触発されたからです。
その一方で、おじさんおばさん達は、断捨離なんて流行り言葉に乗せられて、呪文のように、それを唱える人がいます。
無意味だと思います。
そんな自分で居る限りは、それが、何も捨てられないことの証明です。
何より、失いたくない自分を自己弁護していることに、まず、気づくべきだ。
そう思います。
僕は、自分についても、そう言えるからです。
(^^;;
…
そして、10月…
すでに、本屋の店頭には、2016年のカレンダーや、スケジュール帳が、山積みされています。
ハロウィンだ、Xmasだと、これから、日本中が、これでもか、これでもかと、色取り取りの、Japaneseアメリカンが、披露されます。
そんな、光景を、もう70年間、この国は、やらされてきたわけです。
こんなことで、どうやって、今更、アメリカから断捨離するつもりでいるのでしょう。
そもそも、踏み絵した爺さんを崇拝する総理大臣に、どうして、改憲なんて出来ましょう。
彼には、そんな気は、最初からないし、そもそもアメリカが、そんなことを、させるわけもありません。
佐藤栄作がどう待遇されたか…
田中角栄がどんな目にあわされたか…
一目瞭然ではないですか。
立花隆さんは、僕はとても聡明な方で、素晴らしい作家だと思います。
ですが、その一方で、死後の世界をやたらと拘る立花隆さんには、作家ではなく、人としての立花隆さんを、見てしまいます。
もしかしたら、それが、彼にしか見えない、田中角栄の亡霊なのではと、僕には、どうしても、そう見えてしまのでした。
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安倍晋三氏ご本人には、そんなに深い、政治イデオロギーなど、ないと思うのです。
ただ、出戻り総理としての、コンプレックスだけだと、思うのです。
よって、小泉政権同様に、ベッタリアメリカンに、より拍車がかかり、アメリカの防衛予算の穴埋めと、軍産複合体の御用聞きをやってるだけだと思うのです。
その証拠に、父ちゃんの真似ばかりをしたがる安倍晋三さんを嘲笑し、バカ殿扱いする、息子の進次郎を、見てりゃ、容易に、わかることです。
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戦争法案の後は、これから、安倍政権は、株価を上昇させ、国民の矛先を、変えることを、するそうです。
それを待ってる投資家は、今か今かと、ヨダレ垂らしているのだから、予定通りの流れだと思います。
そして、恐らく、ほとんどの日本人は、横並びするだけでしょう。
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ハロウィンの定着ぶりを見ていると、日本人がそのままわかります。
楽しいハロウィンパーティが悪いと言ってるのではありません。
横並びしながら、アメリカを受け入れをしていく、日本人の様が、実に、ハロウィンと言う、解りやすい例から、見てとれると、言うことです。
多分、27~28年ほど前からだと思うのですが、ハロウィン、なるものを日本上陸させたのが、ソニークリエイティブで、銀座のソニープラザのハロウィングッズが、日本でのハロウィンの始まりだと、間違いでなければ、僕の認識では、そう思うのですが…。
なぜなら、当時サラリーマンで、すぐ側で、その過程を見学していたので、よく覚えているのです(^^;;…
とうとう俺たちは、ハロウィンまでやらされるのか、情けねーなと…
そんな思いで、事の成り行きを、眺めていました。
ハロウィンがいけないのではなく、いつまでたっても、何もかもが、ベッタリアメリカンでしかない、JAPサブカルを、嘆いていたのだと思うのです(⌒▽⌒)!
結局、西洋化することを、近代化と呼び、サブカルと言い、欧米に好まれると、先進国と言うお免状を頂けること。
嫌味でありません、僕等の世代は、まさにその申し子だからです。
その当時、これから、日本を侵略しようとする、ハロウィンを疑いながら、すでに骨の髄まで浸透した、ローリングストーンズの初来日を、眠れないほどに、今か今かと、待ちわびる僕がいたわけです。
僕等の世代は、そのトラウマカルチャーで育ったのです。
ずーっとその矛盾の中で、育ってきたわけです。
英会話が大流行りしたのも80年代、OLさんが、ドロップアウトして、ワーホリでオーストラリアへ行くのが大流行りも、この頃でした。
あれから…そして、2015年‼︎
内心、いくらなんでも、ハロウィンだけは、日本人には定着しないだろうと、決め込んでいましたが、今では、10月はハロウィンと、Xmasの前哨戦みたいに、すっかり定着しましたね。
この矛盾と、そのトラウマとの間で、苦しみ続けた世代だからこそ、安倍晋三氏の、ベッタリAmerican政治思考が、どうにも生々し過ぎて、生理的に受け付けないのかもしれません。
…
もうすぐ、これから、Xmasまで、日本中が、キリスト教徒に、仮装します。
雨は夜更け過ぎに雪に変わるのです。
きっと君は来ないんです…♫
それが、日本人の描く、Xmasなんです。
こうして、2015年もまた、2016へと引き継がれるのです。
ひねくれ者は、おいてけぼりにされます。
(^ν^)
こんな光景は、僕が物心ついた時には、すでに存在していました。
キリスト教文化と、仏教神道、ダブルスタンダードが、この国です。
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横を気にする日本人は、角の立つことを最も嫌うから、日本人は、表立っては、決して拒否しないんです。
バリアフリーな心、それが日本人なんです。
きっと(^ν^)
そのくせ、日本人は、本音では、決して
何も受け入れません。
精神の基本は、鎖国です。
自分もそうですが、NOと言えば角が立つ、ならば、ここは上手に横並びしたいだけなんです。‼︎
この国の、日常としての生業には、そんな様子を様式として、成り立つ場面が、たくさんあります。
だから、本当にいいの⁇
我慢してない⁇
と、同じ日本人でありながら、同じ日本人に対して、心配してしまう場面にも、よく遭遇します。
恐らく、自分も、きっと何かの場面では、誰かに、そう思わせていることでしょう。
なぜなら、僕も、日本人だから…。
でも、日本人には、我慢より、角を立てることの方が、日本人にとっては、遥かに、ストレスとなるんだと思います。
先日、日本についての、古い映像がでてきて、その中の、あるドキュメンタリー映像をやってました。
明治になり、急激に西洋化する、日本の様を取材にきていた、フランスの記者が、当時、あまりに、受け入れに寛容すぎる日本人に対して、すでにそんな疑問を、記事として、投げかけていたのが、何とも、興味深いことでした。
…
戦後70年
日本国憲法に対する日本人の意識もそんなものだった気がします。
アメリカに負けたんだから、仕方ない。
角を立てちゃいけない。
それを潔さと理由付けしながら、アメリカを受け入れてきた。
それが、戦後だったのでは…。
今の日本人を見ていて、想像することです。
角を立てないは、性格的なもので、思いやりとか、親切心とか、道徳でもなければ、倫理でもない。
その場を繕いたい、角を立てたくない…それこそが、本音。
サッカーの、サポーター等の、試合後の観客席のゴミ拾いなど、日本人の様式美の典型だと、思うのです。
日本人なら、わかるはずだけど、あれは、本心なんかではなく、こんなことやつてりや、世間的に、繕える、角が立たない…そのための行いです。
相手のサポーターやら、主催者が、そんな日本人サポーターを、好意的な扱いとして、ニュースなどで扱う。
そこで、自己満足が、完結するのです。
狡さでもなければ、偽善でもない、さりとて、善意でもない。
角を立てることを嫌う文化。
なのです。
そこを語っては、どうでしょう‼︎
(^ν^)