年明け元旦には、今年こそはと、熱く心に誓ったのに、結局一周しただけの2017に、もうまもなく、またもや、師走がやってきます。
今年は中野サンプラでした。
今年も会えました。
細野晴臣のLiveは、今年も、素晴らしかった。
そして、去年より、細野晴臣は、進化してました。
今年で70歳になられたそうだ。
しかし、その70を隠そうとしない細野晴臣は、今年も若い。
若いから、細野晴臣の音楽は、いつも新鮮で、生きがいい。
40年前の曲でさえ、まるで新曲みたいに、新鮮に響いてくるから、細野晴臣には、懐メロがない。
これは、どういうことなのでしょう。
老いとは、いったいなんでしょう。
どんな人も、平等に老いるのです。
整形をして、どんなに若返っても、そんなことをしてしまうことの迷いが、心の老いに、拍車をかけてしまいます。
表情が消えていき、老いが加速します。
つまり、老いとは表情のことのようです。
どうやら、今を否定する人は、表情が貧しくなり、今を肯定する人は、表情が豊かになるようです。
細野晴臣と言う音楽家の不思議な魅力は、そんなことまでも、教えてくれます。
(o^^o)‼︎
アーティストと言うより、仙人を拝観してきたような、
気持ちになります。
どうすりゃ、こんな人物になれるのだろう。
いつも、そう思いながら、細野WORLDの謎解きをしています。
世の中は、今や完全に、デジタル化された季節や時間を、共有し、受け入れ暮らす時代です。
そんな時代に今なお、日本のマスコミは、無理矢理、アナログな季節感や、時の流れや、人の感情を、見つけようとするから、的外れな内容しか、僕等には、伝わってこないのでしょう。
すっかり信用を失くした感のある、今の日本のマスコミの現状は、老いを否定するのと、とてもよく似ていると思います。
メディアの限界が、そのまんま大衆につたわるから、余計に、人はデジタルに、依存してしまうのでしょう。
しかし、デジタル依存は、軽薄な人間を増大させている現実もあります。
デジタルソースが豊富なことで、ある程度の裏事情や、事の真相が、誰にも、その予測や想像が、ひじょうに容易になったことです。
わかった気になる病に、侵された人が、街中に、氾濫しています。
これこそが、こんな時代の、もっとも危ういところです。
だからこそ、新聞や雑誌や小説が、今こそ、もっと確信犯であるべきなのです。
そんなこと、最近、よく思います‼︎
(╹◡╹)