龍馬坂の途中にあったブロンズでできた龍馬のブーツや帆船の操舵輪。
この操舵輪を握ると眼下に長崎の街が広がってくる
長崎市内の寺町から亀山社中に向かう長い階段がある。
坂本龍馬が海援隊の仲間たちと歩き廻った道だ。
大人二人が並んで歩ける程度の小路である。
今でも地元の人達は、この坂を「龍馬坂」と名付け、日常的に利用している。
坂の途中に、土佐からの仲間であった「沢村惣之丞(さわむら そうのじょう)」の説明板があった。
誤って薩摩人を殺害したとはいえ、この男の切腹を救う手立てはなかったのだろうか?
これからの時代を切り開かねばならぬ男子を、「近藤 長次郎 こんどう ちょうじろう)」に続き、 またここで一人失っている。
本人達自身の無念さが僕の心に伝わてくる。
(2010.10.15 長崎市寺町にて)
この操舵輪を握ると眼下に長崎の街が広がってくる
長崎市内の寺町から亀山社中に向かう長い階段がある。
坂本龍馬が海援隊の仲間たちと歩き廻った道だ。
大人二人が並んで歩ける程度の小路である。
今でも地元の人達は、この坂を「龍馬坂」と名付け、日常的に利用している。
坂の途中に、土佐からの仲間であった「沢村惣之丞(さわむら そうのじょう)」の説明板があった。
誤って薩摩人を殺害したとはいえ、この男の切腹を救う手立てはなかったのだろうか?
これからの時代を切り開かねばならぬ男子を、「近藤 長次郎 こんどう ちょうじろう)」に続き、 またここで一人失っている。
本人達自身の無念さが僕の心に伝わてくる。
(2010.10.15 長崎市寺町にて)
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