![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/16/cf0508a0482c685c017a58360aebf7f1.jpg)
近藤 長次郎(こんどう ちょうじろう) の墓は、皓台寺 小曾根家の墓地内にある。
その墓碑には、小曾根邸の離れの屋敷名をとって「梅花書屋氏墓」と記されている。
筆跡は龍馬のものとされている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/00/6bf97bafb5dd90b40b895e9650a1cce0.jpg)
長崎市内の寺町から亀山社中に向かう長い階段がある。
坂本龍馬が海援隊の仲間たちと歩き廻った道だ。
大人二人が並んで歩ける程度の小路である。
今でも地元の人達は、この坂を「龍馬坂」と名付け、日常的に利用している。
坂の途中に、土佐からの仲間であった「沢村惣之丞(さわむら そうのじょう)」の説明板があった。
誤って薩摩人を殺害したとはいえ、この男の切腹を救う手立てはなかったのだろうか?
これからの時代を切り開かねばならぬ男子を、「近藤 長次郎 こんどう ちょうじろう)」に続き、 またここで一人失っている。
本人達自身の無念さが僕の心に伝わてくる。
(2010.10.15 長崎市寺町にて)
その墓碑には、小曾根邸の離れの屋敷名をとって「梅花書屋氏墓」と記されている。
筆跡は龍馬のものとされている。
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長崎市内の寺町から亀山社中に向かう長い階段がある。
坂本龍馬が海援隊の仲間たちと歩き廻った道だ。
大人二人が並んで歩ける程度の小路である。
今でも地元の人達は、この坂を「龍馬坂」と名付け、日常的に利用している。
坂の途中に、土佐からの仲間であった「沢村惣之丞(さわむら そうのじょう)」の説明板があった。
誤って薩摩人を殺害したとはいえ、この男の切腹を救う手立てはなかったのだろうか?
これからの時代を切り開かねばならぬ男子を、「近藤 長次郎 こんどう ちょうじろう)」に続き、 またここで一人失っている。
本人達自身の無念さが僕の心に伝わてくる。
(2010.10.15 長崎市寺町にて)
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