長崎市の築町と浜町を結ぶ銕橋(くろがねばし)。
この橋の浜町側に、
坂本竜馬そして岩崎弥太郎ゆかりの土佐商会跡の記念碑がひっそりとある。
土佐藩は藩の経済活動のため藩営の土佐商会を設けた。
ここは、その長崎出張所の跡である。
長崎で藩の産物を売り、西洋の武器を購入した。
後に三菱造船所を興した岩崎弥太郎は、主任として駐在し、
坂本龍馬の海援隊もここを拠点に活動している。
このころ、「てつばし」はなく木製の橋が架かっていた。
竜馬は、この橋をブーツで歩いていたに違いない。
『ウィキペディア(Wikipedia)』
銕橋(くろがねばし)とは、長崎市の中島川に架かる橋。
河口から数えて6番目の橋で、築町と浜町を結ぶ。
「てつばし」の呼び名で親しまれている。
長崎一の繁華街、浜市アーケードの西側入り口に位置し、通行人が多い。
現在の橋は1990年に架け替えられた3代目で、欄干には「鉄橋」の銘が刻まれている。
初代「銕橋」は、明治元年にできた日本初の鉄橋とされている。
(2010.03.13 長崎市てつばしにて)
この橋の浜町側に、
坂本竜馬そして岩崎弥太郎ゆかりの土佐商会跡の記念碑がひっそりとある。
土佐藩は藩の経済活動のため藩営の土佐商会を設けた。
ここは、その長崎出張所の跡である。
長崎で藩の産物を売り、西洋の武器を購入した。
後に三菱造船所を興した岩崎弥太郎は、主任として駐在し、
坂本龍馬の海援隊もここを拠点に活動している。
このころ、「てつばし」はなく木製の橋が架かっていた。
竜馬は、この橋をブーツで歩いていたに違いない。
『ウィキペディア(Wikipedia)』
銕橋(くろがねばし)とは、長崎市の中島川に架かる橋。
河口から数えて6番目の橋で、築町と浜町を結ぶ。
「てつばし」の呼び名で親しまれている。
長崎一の繁華街、浜市アーケードの西側入り口に位置し、通行人が多い。
現在の橋は1990年に架け替えられた3代目で、欄干には「鉄橋」の銘が刻まれている。
初代「銕橋」は、明治元年にできた日本初の鉄橋とされている。
(2010.03.13 長崎市てつばしにて)
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