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「装飾古墳」 そのモチーフへの思い(修正中)

2008-08-16 | 歴史(古墳時代)
福岡県うきは市にある「屋形古墳群」を見た。
以前から是非行きたいと思っていた。
やっと実現した。

「屋形古墳群」には、「珍敷塚(めずらしづか)古墳」、「原(はる)古墳」、「鳥船塚(とりふねづか)古墳」そして「古畑(ふるはた)古墳」の4つの古墳がある。

これらの古墳は、赤や青の顔料で石室内部が装飾されている。
これらの装飾古墳からは、表現豊かな古代人の思いが、ストレートに僕らに伝わってくる。

古代人が装飾古墳に描いたモチーフは、
「人」、「船」、「鳥」、「太陽(同心円)」、「武器(弓・盾・太刀)」、「カエル」、「家畜」、「蕨手紋(わらびてもん)」などである。

かつて、
僕らの先祖は、船で朝鮮半島南部から東空に昇る太陽を目指して九州に向かった。
そして船の舳先(へさき)に鳥がとまるのを見て陸地が近いことを感じた。
鳥が舳先にとまることは、彼らが生きて陸地にたどり着く証であった。

彼らは、その船に、新たな大地での異民族との戦いに備え武器(弓・盾・太刀)、そして新たな大地で暮らしていくための食料(カエル、家畜)も積み込んでいた。
「カエル」は、「稲作を示すモチーフ」ではないかと僕は考えている。

彼らは九州へたどり着いた。
やがて彼らは、外敵から身を守りながら稲作に適した土地を見つけ、田を耕し、稲を育てここに定住していった。

そして彼らの子孫は、死んだ父母、祖父母のため、再び次の旅を準備する。
彼らの先祖が九州にたどり着いた旅の伝説を元に、死んだものたちの新たな旅をイメージしている。
死んだものたちが、次の世界で困らぬように万全の準備を整えている。
彼らは、これらの古墳に描いた装飾に、次の旅への具体的イメージを表現しているのだ。

死んだものたちがどこへ向かうのか、僕には不明だ。
次の世界とは、先祖がいるアジアの大地なのか、それとも新たな次元の異なる復活の世界なのだろうか?


「蕨手紋」への思い。

「蕨手紋」は、死者が若々しく復活することへの彼らの祈りである。
冬が過ぎたばかりの春の野山で、最も生命力を感じさせるものは「羊歯(しだ)」である。
その新芽である「蕨」は、薄い羊膜に包まれ生まれてくる。
必ず毎年である。
だから死者の生命復活へのモチーフを「蕨」としたに違いない。


「鳥」への思い。

現代人である僕らは、既に彼らのように鳥をあがめる習慣を失ってしまった。
先祖の厳しい旅を僕らのDNAは忘れている。

それでも、僕らに唯一、形として残っているものがある。
それは、どこの神社にもある「鳥居」だ。
今では、「早く陸にたどり着きたい」、「鳥にとまって欲しい」という願いを忘れてしまっている。
「石を放り上げ鳥居の上に載せることが幸運を掴む」ではなかったはずだ。

「鳥居」は、「船の舳先を地面に垂直に立てた形のモチーフ」なのである。


今も神社にある「三種の神器 鏡、剣、勾玉」と「鳥居」そして「高麗犬(こまいぬ)」。

神社は、僕らの先祖が大海原を越えてきたことを示す証であり、
神社自体が「鳥居」を舳先とした船として先祖の旅そのものを表現したものかもしれぬ。


(2008.08.14 朝 うきは市にて)




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